なかの・なおこ
1981年、三重県生まれ。京都文教大学人間学部臨床心理学科卒業。アルバイト。趣味は散歩。好きな作家はサガン、安部公房、ミラン・クンデラ、村上春樹。受賞作『美しい私の顔』は『群像』6月号(講談社)に全文掲載されている。

第54回 群像新人文学賞

小説部門と評論部門の2部門がある。選考委員は伊藤たかみ、絲山秋子、田中和生、長嶋有、松浦寿輝。各部門受賞者には50万円が贈られる。

中納直子さん

アイディアは外から取り入れるように

 作家というのはなろうとしてなれるものではないと思っていました。私が大学生ぐらいのときに十代でデビューして活躍されている方が何人もいたので、そういうのはあらかじめ決められた人がなるのかなあと。なにかを書いてみたくなったことはありましたが何ページも書けるようなネタもなく、自分の文章への嫌悪感も強くあり出来上がった話は本当にひどいものでした。賞のこともよく知らなかった上にそんな出来のものだったので、何度か応募した記憶はあるのですが結果の発表前にどこに送ったか忘れてしまったりしていました。
 嫌だ嫌だという気持ちを我慢してなるべく素直に出てくる言葉を選ぶようにしたらしっくりくるようになって、ちまちまと直し続けて愛着が湧いてきたのをよく名前を見るなあと思っていた群像新人文学賞に送りました。それが二年前の最終候補まで残って、びっくりして一生懸命書いたら次は一次選考にも残りませんでした。私の場合、始めはまとめることは考えずに収拾がつかなくなるまでやってみたほうがよかったようです。受賞作はまず一通り書き終えたときには「これはどうにもならなさそう」という気になりました。でも気になることを調べつつ直しているうちに「なんとかなりそう」という楽観的な気分になって、そうし たら意外とアイディアが出てきてなんとかなりました。
 前に最終選考に残ったときに編集の方からいろんなものを見てくださいと言われいたので小説以外にもいろれまでアイディアは内側から湧き上がってくる取と勘違していたのですが、外からり入れるようにすると平らな話に奥行きが出せそうになってきました。それで逆に飽和状態になり受賞作では納得いくまで内容を詰め切れませんでした。今はもう次をどうするかしかないので、そのあたりを乗り越えてもう一作完成に漕ぎつけたいです。(なかの・なおこ)

受賞作

『美しい私の顔』

27歳になる佐代はある日、顔面神経麻痺にかかって職場にも出られなくなり、婚約者とも破局しそうになる。ある日突然、顔の形が変わってしまった女性の葛藤を書いた作品。

あんどう・とらお
1950年、鳥取県生まれ。京都大学文学部西洋史学科卒業。趣味は音楽鑑賞。好きな作家は内田康夫、都筑道夫、藤沢周平、好きなアーティストは天野喜孝、中川一政。

第9回 北区内田康夫ミステリー文学賞

ミステリーの短編小説を募集。北区の地名・人物・歴史などを入れ込んだ作品を歓迎。選考委員は内田康夫ほか。大賞受賞者には賞金100万円が贈られる。

安堂虎夫さん

一作でも多く、永く読み続けてもらえる作品を

 自分たちがいかに小さい存在かということを、嫌というほど知らされたのが三月十一日の震災だったように思います。大自然、大宇宙の営みの中では、個々人の力など無に等しいと感じざるを得ませんでした。そんな中で、権力に固執したり、過去の責任に頬被りして他人ばかりを非難したり、周囲を蹴飛ばしてでも栄耀栄華を極めようとする、愚かで情けない人間のいかに多いことか。
 とはいえ、それが人間なのかもしれません。自分の目の前に広がる景色を「世界」だと思いこみ、その真中に立って生きているんだと信じて疑わないのがわたしたちなのでしょう。
 子供の頃から、歴史にまつわる本を読むのが好きでした。昔の人がどんな考えを持ち、どんな行動を取ったのか、それを知るのが大好きでした。でも、いつの頃からか、書かれていることが「ほんとうだろうか?」と思い始めたのです。世に残されている書は、勝ち抜いた者が編纂した記録です。その裏には、敗れ去り、表舞台から消えて行った数多くの者の怨みと悲しみが隠されているのではないか。そう思って読み返すと、歴史書の行間に見え隠れする謎が、次から次と襲ってきて、探究意欲、創作意欲をかきたててくれます。
 サラリーマン時代は仕事に追われ、執筆などとてもできませんでした。も書けないで終わってしまう」と考えて書き始め、ようやく一つの賞が取れました。
 受賞後、親族や旧友から励ましの手紙が届き、自分はこんなに多くの温かい人々に囲まれていたんだと、あらためて気付かされました。あとどのくらい生きられるか分かりませんが、一日一日、一歩一歩、地道に努力を重ねて、一作でも多く、永く読み続けてもらえる作品を残せたらと考えています。(あんどう・とらお)

受賞作

神隠し 異聞『王子路考』

名女方浜村屋路考が死んで一年が経った江戸で、読売(かわら版屋)の三人は、追善公演を務める幼い息子権次郎の記事を書こうとしていた。公演をひと月後に控えて、興行の金主の息子たちが次々に行方不明になるという事件が起こる。子供たちはすぐに見つかり、ホッとしたのもつかの間、今度は権次郎本人がいなくなってしまった……。

              
              

やまざき・ふみひと
1983年、埼玉県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科デザイン専攻修了。東京藝術大学美術学部デザイン科教育研究助手。趣味は音楽を聴くことと落書きをすること。好きなアーティストは長新太、椎名林檎。

第3回 Be絵本大賞

大きな想像力と創造力の種を子どもたちの心へ届ける絵本を募集。選考委員は秋元康、茂木健一郎、武田双雲。大賞受賞者には賞金100万円が贈られる。

山崎史人さん

「いつか描く絵本」を今描いた

 喫茶店で友人と会話をしているときに、私はよく紙ナプキンであそびます。折ったり濡らしたり落書きをしたりします。なんとなく気に入った形や絵ができると、写真を撮ったり家に持って帰ったりします。今回私が描いた絵本『あかいマスク』の主役もそこで生まれました。
 浪人中に友人が絵本をプレゼントしてくれました。それまで絵本を読んだ記憶はあまりなく、興味もありませんでしたが、せっかく友人が薦めてくれた絵本だったので集中して読んでみることにしました。アーノルド・ローベルの『きりぎりすくん』という作品です。きりぎりすくんが旅をしながら一癖も二癖もある様々な人々(虫々)と出会っていく話です。受けた印象は「奇妙」でした。主役であるきりぎりすくん以外の登場人物(虫)が全員奇妙に見えるのです。少し怖かったのを覚えていますが、同時に魅力も感じていました。その魅力にやられてしまい、本屋に行っても絵本コーナーを回るようになり、絵本を好きになっていました。
 三浪してようやく大学に入学し、私はデザインを学んでいました。四年生のときに同級生が、お勧めの絵本を私にプレゼントしてくれました。長新太の『みみずのオッサン』という絵本です。爆発していました。センスとパワーに溢れていて涙が出るほど美しい絵本でした。私もいつか絵本を描いてみたいと思いました。
 大学院に進学し、あっという間に就職活動。自分の将来をどうするべきか真剣に考える時期になり、結局「絵本作家になりたい」が残りました。なので「いつか描く絵本」を今描くことにしました。
 愛着のある落書きからストーリーを膨らませ、ニュアンスを伝えられるように気をつかいました。絵本が完成したとき、『Be絵本大賞』の作品募集の告知をウェブ上で見つけたので応募し、幸運にも大賞をいただくことができました。
 これから、自分にまだ足りていない「プロの絵本作家の胆力」を身につけられるよう努力していきたいと思っています。(やまざき・ふみひと)。

受賞作

『あかいマスク』

ある街では映画「マスク男」が大人気。ひろしくんは、映画のマスク男がかぶっている“ あかいマスク ”がほしくて、「世界一のマスク屋」さんに買いに行きました。 そしてかぶって街に出てみると、なんと街中の 誰 もが、“あかいマスク”をかぶっています。みんながかぶっているので、一体、誰が誰だか区別がつかず、街は大混乱です。

              
              

おおやま・じゅんこ
1961年、東京都生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。シナリオライター。趣味は散歩。好きな作家は、L・M・モンゴメリ、好きなアーティストは、スピッツ。

第3回TBS・講談社ドラマ原作大賞

ドラマの原作になりうる小説を募集。ジャンルは不問。大賞受賞者には賞金100万円が贈られる。また受賞作は、講談社から単行本として刊行され、TBSによってテレビとラジオでドラマ化される。

大山淳子さん

やらなければ可能性はゼロ

 43歳でシナリオの学校に通い始めました。周囲を見て「若い。出遅れちゃった」と思いました。でも不安より喜びがあふれます。週に二時間、自分の好きな勉強に打ち込める。わたしはこの歳になって、やっとそんな贅沢を手に入れたのです。脚本家になれるかどうかはわかりません。でもやらないと、なれません。やりました。徹底的に書きました。努力した、と言いたいのですが、楽しくて、力一杯遊んでいる、そんな感じです。二年後には城戸賞入選、ラジオドラマは二度の受賞、そしてオンエア、さらに函館港イルミナシオン映画祭でグランプリを受賞しました。「賞ハンター」と言われたりもしました。身に余る結果ですが、賞は目的ではありません。「仕事人」になるための手段なのです。売り込みが苦手なわたしにとって、公募こそがお仕事との出会いでした。おかげさまで素人だったわたしが、映画の企画会議に呼ばれ、お仕事するようになりました。楽しかったです。
 しかし今ひとつ、うだつがあがりません。ここぞという時に、うまくいきません。企画が成立しない。しても、シナリオを書かせてもらえない。ある時、はっきり言われました。
「あなたは無名だから使えない」
 そうか。わたしはナルホドと思いました。実力不足ではなくて、名無しだからなのです。みなさん商売です。仕方ありません。そこで考えました。わたしはおばさんだし、今から有名になるアテはありません。ヒントは仕事の中にありました。映像化には出版が必要だと気付いたのです。ならば原作者になりましょう(無謀)。
 わたしは既に48歳になっていました。ああもう、天文学的に遅すぎます。でもやらなければ可能性はゼロです。わたしは少ない可能性に賭けました。土の中に潜るようにして、慣れない小説を書きまくりました。気が付くと一年間に十作、書いていました。経済的にも精神的にもぎりぎりのところで「大賞です」のお知らせが届きました。(おおやま・じゅんこ)

受賞作

『猫弁~死体の身代金~』

お人好しの天才弁護士・百瀬太郎は、引き取り手のない猫を次々受け入れ、常に事務所は猫だらけ。そんな百瀬が前代未聞の霊枢車ジャックの謎に迫る、コメディタッチ・ミステリー。

              
              

ふくしま・かつしげ
1966年、大阪府生まれ。大阪府立池田高等学校卒業。コメディアン。趣味は引っ越し。好きな作家は、奥田英朗、伊坂幸太郎。

第4回WOWOWシナリオ大賞

2時間枠の映像化を想定したシナリオ作品を募集。テーマは自由。選考委員は崔洋一。大賞受賞者には賞金500万円が贈られ、作品は「ドラマW」として映像化されている。

福島力ツシゲさん

やっぱり“笑い”にこだわりたい

 応募したのは約束を守るため!と言えば、ちょっとカッコイイですが……。これまでの人生、大きなコトから小さなコトまで、いろいろ約束を破ってきて、いや、もちろん守った約束もイッパイありますが、ちょとしたオオカミオッサンでした。
『エンドロール~伝説の父~』を書いたのは、3年前に北海道で出演してた番組で、脚本も書かせてもらうようになったのがきっかけでした。その時のプロット(あらすじ)に書いたタイトルは『2人だけのエンドロール』で、同じお笑い(オッサン)グループの石山博士の原案で書き始めてるうちに、番組の方向性が変わって、途中まで書きあげた脚本が、いつの間にか“お蔵入り”してました。石山の原案は、たいていがドタバタコメディなのに、この作品だけは珍しくドタバタしてないコメディでした。
「人生が一本の映画だとしたら、自分のエンドロールにはどんな名前が流れてくるのだろうか?」。ちょっとハートフルな内容だったので「最後まで書き上げて、舞台か映像にするから、ちょっと待っとけッ!」と、約束してました。その約束を守るのに……2年半。ちょっとかかり過ぎた気もしますが、2年半の間に出会えた人たちのおかげで『2人だけのエンドロール』は『エンドロール~伝説の父~』に大きく変身し、この賞を受賞できました。そして“映像で形にする”という約束は、WOWOWでドラマ化という最高級レベルで守られる事になりそうで、ワクワクしてます。
“命の期限を宣告された人”。宣告はされなくても、その“期限の恐怖と闘いながら生きた人”が、ナニを遺そうとしたか? ダレに遺したいと思ったか? 自分の身近にいた“期限を感じて生きてきた人たち”と向き合った時、死と隣り合ってるからこそ、本人だけでなく周りの人たちに笑いが必要であって欲しい。そんな作品になったんじゃないかと思ってます。
 今後、書くという表現の機会を与えてもらったら、やっぱり“笑い”にこだわった作品を書くと思います。(ふくしま・かつしげ)。


受賞作

『エンドロール~伝説の父~』

もし、人生が一本の映画だったとしたら、エンドロールに流れる名前は、いったい、どんな名前が出てくるのだろうか? 父(タダシ)の七回忌で実家に帰ってきた息子(ケンジ)は、本棚にあったアントニオ猪木の本を手にして、父が亡くなる前に現れたユウジの事を思い出していた。「俺が子供だったからって、よくあんなウソついたよな」。父と母の同級生だったユウジは、ケンジにとっては衝撃的にムチャクチャな男だった。そんなユウジが仕切る父の七回忌『タダシ祭』が、もうすぐ始まろうとしていた。

              
              

みずたに・しゅんじ
1984年、東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科卒業。コピーライター。趣味はTVゲーム(モンスターハンター)、読書。好きな作家は、宮本輝、中原中也。好きなアーティストは、Mr.Children。

第48回宣伝会議賞

協賛企業50社から出題される、商品・サービス・企業広告などの広告課題に対して、広告コピーまたはCM企画の作品を募集。過去に糸井重里や林真理子らを輩出している。グランプリ受賞者には賞金100万円が贈られる。

水谷俊次さん

賞は勇気をくれるもの

 宣伝会議賞との付き合いは、六年前にさかのぼる。当時、私はコピーライター養成講座に通う大学生だった。コピーとは到底言い難い言葉を何とかひねり出し、どうにか体裁を整えて応募した私の初挑戦は、一次審査通過作品わずか一本という結果に終わった。それでも、プロも参加するこの賞でわずかなりとも成果を出せたことは、社会へ出ていこうとする私に、ささやかな自信を与えてくれた。
 その後、とある企業にコピーライターとして就職することになった。だが、コピーライターという名刺を持ちながらもコピーを書く機会は、ほとんどなかった。働くことの充実感はあったが、歯がゆさもあった。自分はたったひとつの言葉で、世界を一気に広げてくれるコピーというものに心を動かされたのではなかったのか――。その思いを宣伝会議賞にぶつけ、その年、初めて二次審査を通過した。そして、私はコピーが書ける職場へと移る決心をしたのである。
 職場を新たにしてからは、そこで夢中になってコピーを書き続けた。しかし、数年経ち、成長する実感が全く得られなくなってしまったのである。いつまでも自分の殻を打ち破ることができず、ただただ、もがき続けていた。それで、一回、自分の限界までコピーを書ききってみようと思った。これでダメなら、自分はそこまでなのだろうと腹をくくり、また宣伝会議賞に向き合った。応募期間中、私は寝る間を惜しんで二千三百ほどのコピーを書いた。そして、そのうちの一本が、三十二万四千四百二十四本という想像を絶するような競争を見事に勝ち抜き、私にグランプリを与えてくれた。
 振りかえってみれば、宣伝会議賞は、いつも進むべき道を励ましてくれる存在であったように思う。この賞を卒業することになったが、もう不安になる必要はないのだと、いつまでも絶えることのないエールを最後に送ってくれたと信じている。(みずたに・しゅんじ)

受賞作

【-受賞作品-】

天国に遅れてやってきた妻が、
いきなり私にビンタした。

課題企業:朝日生命保険
課題内容:保険王プラス
媒体:雑誌

              
              

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