公募ガイド

  • お問い合わせ 03-5415-2170
  • お問い合わせ 03-5415-2170
  1. HOME > 
  2. 編集部ブログ > 
  3. 中山道を行く

公募ブログ

中山道を行く 第3週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第3週をおおくりします。

 

第3週は、桶川を出発し、鴻巣を抜けて、熊谷まで歩いた。
桶川はシブがき隊のモックンこと本木雅弘の出身地(シブがき隊って)。この本木雅弘は大河ドラマで斎藤道三を演じていた。道三は茶人でもあるが、しばしば茶で政敵を毒殺した。ある週の放送では美濃の守護大名、土岐頼純に茶を立てるが、茶に毒が盛ってあり……。

 

このとき、「え?」と思った。モックンと言えば、長年、サントリーの緑茶飲料「伊右衛門」のCMキャラクターを務めている。そのモックンがお茶で毒殺なんてシャレにならない。サントリーに怒られないか! などと要らぬ心配をする。
翌日、「伊右衛門」公式ツイッターに載っていた妻役、宮沢りえのツイートがふるっていた。
「昨晩は、主人が熱演のあまり、皆様をお騒がせしましたようで、すみません。まずは心を落ち着け、茶などお召し上がりくださりませ。妻より」

 

出身地と言えば、この日の終着地、熊谷は鎌倉時代の武将、熊谷次郎直実の故郷でもある。
源平合戦は須磨の戦いの際、直実は敵の若き武将を見つけ、一騎打ちを挑む。この時代の習わしで名乗りを上げるが、相手は「名乗らなくても首を取って人に聞け。私を知っているだろうから」と言う。この武将こそが青葉の笛の名手、平敦盛(清盛の甥)だった。
直実は敦盛を逃がそうとしたが、どのみち源氏に殺されてしまうと思い、自らの手で討つ。しかし、彼が年端もいかない青年と知り、ショックを受けて出家してしまうのだ。
幸若舞の「敦盛」はこの場面を題材にしたもの。中段後半にある「人間、五十年、化天のうちを比ぶれば」という節は特に織田信長が好んだことでつとに有名だ。

 

コロナ禍の今年、ある歌舞伎役者がこう聞かれた。
「ステイホームでは何をしていました?」
「ずっと敦盛の稽古をやっていました」
「ハマりますよね、あつもり」

 

本木雅弘が「伊右衛門」のCMをやっていると知らなければなんということもなかった。

熊谷直実も自分が殺した敵が息子ぐらいの年の少年だと知らなければ出家もしなかった。
くだんの歌舞伎役者に質問した人も、勘違いに気づかなければ恥と思わずに済んだ。
人の世は知る必要のないことで満ちている。

中山道を行く 第2週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第2週をおおくりします。

 

第2週は、浦和を出発し、大宮、上尾、桶川まで歩いた。
このあたりは我が故郷、埼玉。しかし、郷里とは違って都市部で、「これぞ中山道」という感じはあまりない。住民も、いわゆる埼玉都民が多い。

 

私は地元密着度に応じて、市民を3つに分けている。
第1種市民 祖父の代からの地元民。地元の方言を使う。
第2種市民 父親の代になって移住。子どもは地元の子に近いが、親は親の方言、または標準語で話すので、地元民と他県民とのハーフという感じ。
第3種市民 本人自身が移住してきた人。地元意識は希薄。

 

いきなり話が脱線したが、脱線ついでに言うと、埼玉県の県民性は、あまり特徴がないのが特徴と言われている。
県民性を決める要素は、3つある。
気候・風土=極寒の地だから忍耐強いとか。
産業・豊かさ=経済的に豊かで派手とか。
大藩の教育=藩主が謹厳実直を是としたとか。

 

しかし、埼玉県は晴れの日が多いが、温暖というわけではなく、気候的な県民性はない。
全国的に有名な産業や特産物は少なく、観光地でもなく、県民性を作るほどではない。
小藩分立の県で、藩独自の教育の影響もない。
つまり、なんにもない野っ原にビルと宅地が建ったのが埼玉県南と思えば間違いない。

 

中山道、関係なくなっちゃった!!(というギャグのハライチは上尾出身)。
そうだ、浅田次郎に中山道を扱った『一路』という小説があるが、江戸を目指した参勤交代の一行は最後に大宮宿に泊まる。一気に江戸に行ってもいいが、無理して夜中に江戸に着くくらいならということで、手前の大宮あたりで一泊し、翌日は早朝に出立、昼ぐらいに余裕で江戸に入るのが余裕のある藩のたしなみというものだった。
大宮や浦和が目的地というわけではない、要は泊まるだけの通過宿……というあたりも、何にもない埼玉らしいという気がする。
武蔵路は、ひたすら退屈な道中である。

PAGE TOP

PAGE TOP