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中山道を行く 第11週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第11週をおおくりします。
第11週は金曜の仕事終わりに諏訪まで行き、ビジネスホテルで一泊、翌日は早朝に歩きだし、塩尻宿で塩尻峠を越え、洗馬宿、本山宿、贄川宿を通り、奈良井で連泊した。

 

この日は早朝に下諏訪を出て、塩尻峠を上る。峠にも二種類あり、碓氷峠や和田峠のように山中を行く峠もあれば、ただのアスファルト道の場合もある。塩尻峠は後者で、しかも、登山道ではないので直登に近い。ひたすら登り。これは地味にきつかった。

 

塩尻峠を越えると、あとは平坦な道が続き、腹がすいたなと思ったとき、「そば切り発祥の地」の看板が見えた。そば切りは切ったそばという意味。当初はそばがきのような状態で食べていたそばを、本山宿のあたりでは江戸時代に切って食べた。これがそば切りの嚆矢。

 

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ただ、本山宿には老舗そば店といったものはなく、地元の有志が運営しているそば店があるのみ。でも、まあそれでもいいかと、「本山そばの里」という店に入る。そこでざるそばを注文し、10分ほど経ったとき、別の客が来店し、同じくざるそばを注文した。

 

と、ものの一分もしないうちに彼の前にざるそばが出され、彼は「早っ」と言いながら食べ始めた。おわかりだと思うが、お店の方(年配の女性だった)が出す順番を間違えたのだ。「え?」と思って厨房のほうを見ると、私の視線に気づき、別の若い女性が慌てだした。

 

「なんでA卓に出すのよ。B卓が先よ」はっきり聞こえてしまった。その後、若い女性のほうが謝りに来たが、どうせなら間違った本人に謝りに来させてほしかったなあ。味は今一つ。しかし、食後に出たそば湯はすべてをチャラにしていいくらい濃くて絶品だった。

 

この辺りでは中山道はだいたい国道19号線沿いにあり、贄川宿を過ぎると、突如、江戸時代にタイムスリップしたかのような町並みが現れる。それが奈良井宿だ。これまでも昔の屋敷や民家を再現した宿場はあったが、ここは町並みが1kmぐらい連なっている。

 

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しかも、旅籠屋などもちゃんと営業していて、実際に宿泊もできる。もちろん、そば、うどん、五平餅なども食べられる。妻籠、馬籠とともに中山道三大町並みと言ってよく、実は昨年は二回も行ってしまった。あの古い町並みには、なぜだが心惹かれるものがある。

中山道を行く 第10週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第10週をおおくりします。
第10週は、和田宿にある民宿みやを早朝に出て、中山道最大の難所、和田峠を越え、下諏訪宿まで歩いた。過去最長の距離だった。

 

中山道といって広い国道の中山道もあれば、バイパスの中山道、旧国道の中山道、旧中山道、推定中山道などがあり、微妙にルートが違うのだが、この「中山道を行く」では、江戸時代初期に参勤交代のために整備された原道をたどることを旨としている。

 

もっとも消滅してしまった道もある。たとえば、土砂崩れがあったり、土地開発で整地されて新しい道ができてしまったり。あるいは、もともとは曲がりくねった道だったが、舗装道路ができてまっすぐにされてしまったり。こういうところも原道に忠実に歩く。

 

この中山道の旅も、最初はなんとなく街道沿いに歩けばいいかと思っていたのだが、前回の芦田宿あたりから原道どおりに完歩するコンプリート感がやみつきになり、道を間違ったらもとに戻って歩き直すということもやるようになっていた。

 

さて、和田峠だが、国道をそれて細い舗装道路に入ったが、すぐに「旧中山道はこちら」という看板がでてきて、舗装道路とはあさっての山中を指している。なんか前に同じことがあったな、と嫌な予感がする。そう、碓氷峠のときと同じパターンだ。

 

なんだよ、舗装道路があるのに、なんでこんな山道を、と思ったが、歩いてみると舗装道路より趣があるし、大自然の中を歩いているという感じもし、なにより涼しい。以降、人ひとりやっと通れるような原道を歩くのが楽しみになった。

 

和田峠のピークには割と簡単に着いたのだが、そこから延々と続く急な下りには膝がおかしくなりそうだった。こんな急な下り坂、皇女和宮も徒歩で越えたのだろうか。おまけに、道は細いだけでなく、ところどころ草に覆われて道がわからなくなっている。

 

一度道を見失い、すわ遭難かと焦ったが、ところどころピンクのリボンが結んであり、それが道標だとわかった。このときはそんな常識も知らず、服装はジーンズだし、熊よけの鈴も持っていなかった。だが、もう信濃路。散歩の延長というわけにはいかなくなっていた。

中山道を行く 第9週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第9週をおおくりします。
第9週は、岩村田宿から、塩名田宿、八幡宿、望月宿、芦田宿を越え、長久保宿まで行った。

 

中山道は埼玉ではほぼ高崎線と同じルートをたどり、群馬では横川駅までは信越線が、軽井沢駅からはしなの鉄道がだいたい並走している。
だから、到着した宿場の周囲を探せば近くに駅があるのだが、しなの鉄道は岩村田宿の一つ前の小田井宿あたりから小諸のほうに行ってしまい、最寄り駅がない!
これはけっこう深刻な事態なのだね。

 

1日30km以上歩くので、帰路はくたびれ果てている。そこにもってきて駅まで徒歩で行くのはつらい。
バスがあればいいが、電車もない山中はバスだってあまりないのだ。
じゃあ、前回、岩村田宿で歩くのをやめたとき、どこの駅に行ったのかと言うと、実はすごい駅があった。
それが佐久平駅。ご存じの方もいると思うが、これは新幹線の駅だ。

 

一つ余談。
〈群馬では横川駅までは信越線が、軽井沢駅からはしなの鉄道がだいたい並走している〉と書いたが、「横川・軽井沢間」には在来線がない。
前々回、軽井沢から帰るとき、「在来線乗り場はどこですか」と駅員に聞いたら、「ない」と言われてのけぞってしまった。
あと一駅、どうして延長してくれなかったんだろうね。みんなお金持ちだな。

 

閑話休題。
ということで、この日は贅沢にも新幹線で東京から佐久平まで行き、午前9時ぐらいに歩き始めた。
通過した宿場の数だけ見るとずいぶん歩いたようにも思えるが、距離的にはいつもと変わらず約30km。
長久保宿と和田宿の中間ぐらいのところに宿をとっておいたので、そこに夕方到着し、「何もないがある」みたいな土地を堪能する。

 

本来は宿泊するつもりはなかったのだが、長久保宿まで来ると新幹線の佐久平駅まで戻っても30km、先の諏訪駅までは約40km。
どちらにも行けないし、和田宿の先には中山道最大の難所、和田峠が待ち受けているから、山中で野宿というわけにもいかない。
峠の手前で宿泊し、朝、元気なうちに峠越えをしたほうが安全と判断したわけだ。

 

前日、30km歩いて、宿ではほぼ9割方を休息にあて、翌日は5時にはまた歩き出している。
2日で70km近く歩くこともあるが、せっかくお金をかけて遠出してきたのだから、1kmでも遠くまで行きたいと欲が出る。
70km歩くとかなりの達成感があり、帰りの電車で駅弁を食べながら日本酒など飲んでいると、黄昏がちょっと沁みたりするのだよ、実際。

中山道を行く 第8週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第8週をおおくりします。
第8週は、軽井沢宿から沓掛宿、追分宿、小田井宿を経由し、岩村田宿まで行った。

 

軽井沢の先に、御代田という町がある。
ここには高校のとき、学生村に来たことがあった。学生村は暑い夏を避け、学生たちが勉強のためにこもるという民宿。
私はクラスの友人六名ほどと行ったのだが、なかには一人で来ている受験生もいて、A君は歯学部を目指しているという超エリート。
高校もA君の県内では断トツトップの進学校だった。

 

彼は虚勢を張っているのか、マウントをとりたいのか、ちょっとぎすぎすしている。
「一人で来るなんてすごいね、勇気あるよ」と言うと、
「受験生だから周りはみんな敵。クラスメートも敵。友達なんかいない」
「知り合いにS高校出身の子がいるけど、同じ市内でしょ?」
「あの高校、バカ高校だよ。なんのために存在しているのか、意味不明」
我々のこともどこか下に見ていており、ちょっと付き合いづらいなあって感じ。

 

学生村では基本的には勉強三昧だったが、まあ、たまには息抜きもする。
そん折、誰かが「近くにウィスキー工場がある」と言い、見学に行くことになった。今はなき三楽オーシャンだ。
見学後、なんと「試飲をどうぞ」と言われた。
(私は飲めたが、ビールすら飲んだことのない人もいた)
「ええと、水割りとかコークハイとかではだめですか」
誰かがおそるおそる聞く。高級ウィスキーを割るなんて、今ならありえない。
「とんでもない。ウィスキーを味わうなら、常温のストレートに限ります」
案の定、断固拒否という感じで言われてしまった。

 

まあ、ショットグラス一杯ぐらい平気かと二種類、試飲した。味なんか全然わかからない。ひたすら食道と胃が熱かっただけだが、当然というか、やはりハイになってしまい、学生村に帰ったあとも勉強そっちのけで雑談に花が咲いた。
「俺、物理、全然わからん。参考書を読んでもちんぷんかんぷん」
誰かがとぼやくと、別の誰かが、
「あーだめだめ、A社の参考書は使いにくいよ。俺のB社のを貸すよ」
すると、また別の誰かが、
「いや、絶対C社のほうがいいって。これ、有名な先生が書いたらしい」
なぜか参考書の推薦合戦になった。
「じゃ、帰ったら本屋さんに行ってみるよ」
「いや、俺は物理では受験しないから、しばらく貸すよ」
「本当に? 恩に着る。合格したら牛丼おごるよ」
「生卵付きな」

 

A君はその会話を唖然としながら聞いていた。
「おまえらバカか。受験生同士はライバルなんだぞ。いい参考書は隠せ。教えてどうする」
しかし、我々は部活が団体競技だったこともあり、受験という競技にチームでエントリーしている感覚だった。
だから、「いいじゃないの、みんなで落ちれば」と聞く耳を持たなかった。
団体戦は「FOR THE TEEM」の精神がないと、勝つ試合にも勝てないのよ。

 

このA君もだんだん打ち解けてきて、勉強の合間にバドミントンをしたり、浅間山麓を原チャリでかっ飛んだり、UNOをやったり、酒飲んだり。
あと、A君は一人だけいた女の子のことを好きになり、住所とか聞いていた。青春っ!

 

一週間近く滞在した最終日、彼がぼそっと言った。
「おまえらと同じ高校に行っていたらよかったなあ」
彼もこの一週間を楽しいと思っていたようだった。「受験生だから周りはみんな敵」と息巻いていたのにね。
そのときなぜか「勝った」と思った。

中山道を行く 第7週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第7週をおおくりします。
第7週は、松井田宿から坂本宿を経由し、碓氷峠を越えて軽井沢宿まで行った。

 

この日も始発に乗り、東京、埼玉を飛び越し、9時前に信越線松井田駅に降り立つ。

のちにこの街道歩きは登山になるが、この段階では散歩の延長という感じ。山用の服装でもなく、靴も普通のウォーキングシューズ。史跡があれば寄ったりもし、この日は有名な横川の釜めしを食うため、横川駅前の本店に寄る(釜めし自体は駅売りのものと全く同じだった)。

 

松井田駅を出て、歩くこと2時間。軽井沢に着いたらジョン・レノンが愛した食パンでも食うかと思いつつ、旧国道18号線を歩いていると、「旧中山道入口」と書かれた看板があった。看板は誰かがいたずらしたのか、その先の森の入り口を指している。

「あれじゃあ、間違って森の小径に迷い込んでしまう人がいるよ」と思いながら通過し、国道沿いを歩く。

 

しかし、「いや待て、あの標識が正しいのかも」と戻ってみると、果たしてそこが旧中山道の入り口だった。某アナウンサーの読み間違いではないが、文字どおり「一日中山道」。

一瞬、迷う。そのとき、すでに11時。あんな山道、一人で行って大丈夫か。散歩をするような軽装だし、それに軽井沢まで7kmだと思っていたが、道路標識には「17km」とある。

 

1時間に3km進むとして、17kmなら約6時間。軽井沢到着は午後5時。

ちょっと無謀かと思ったが、引き返すのも面倒になり、幅1メートルもない獣道を行く。

するととんでもない急坂が待ち受けていた。あとで知ったのだが、「馬落とし」という急坂だったらしい。

こんな坂が17kmも続くのかよ、やっぱり帰ろうか。地べたに座り込んでしばし沈思黙考。

 

山の中で一人でいると不安になる。

今、急病になったら? ケガをしたら? 熊に会ったら? 迷子になったら?

途中で日が暮れたらアウトという言葉が蘇る。

本当に生きて帰れるのか。「勇気ある撤退を」と書かれた翌日の新聞記事が目に浮かぶ。

しかし、同時に思った。峠とはいえ、昔はお姫さまも通った道。こんな急坂がいつまでも続くはずがないと。

 

すると、ほどなく道は平坦になり、2時間ほど歩くといきなり舗装道路に出た。

7kmというのは山道だけを指していたらしい。さっきまで山中にいたのに、この先は旧軽井沢銀座。

万平ホテルの脇を抜け、ジョン・レノンの食パンを買い、帰還兵のような気分になる。

九死に一生を得て帰ってきました!なんて。

死ぬかと思ったが、これがけっこう病みつきになった。

中山道を行く 第6週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第6週をおおくりします。
第6週は、早朝に高崎宿まで始発で行き、板鼻宿、安中宿を経由し、松井田宿まで行った。

 

この日は朝から雨模様だったが、始発に乗って群馬まで来て、雨だから帰るというのもなんなので、ままよと歩き出す。途中、安中にある新島襄の生家に立ち寄ったまでは小降りだったが、そのあとは本格的な雨となった。ときどきは強く降るなか、まさに濡れねずみとなりながら、なんでもない田舎町の平坦な道をただ歩いている。何をやっているのかって感じだ。

 

安中には安政遠足侍マラソンという大会がある。安政遠足は、安中藩主板倉勝明が藩士を安中城門から碓氷峠の熊野権現神社まで走らせたのが起源。鍛錬のためであり競争ではなかったが、日本のマラソンの発祥と言われ、地元ではこれにあやかり、マラソン大会を実施している。碓氷峠は歩いて登るのも大変だが、あれを走って登るとは。いやいやご愁傷さま。

 

安中といって一つ思い出した。ゴルフに行ったとき、たまたまこのあたりの蕎麦屋に立ち寄ったことがあった。同行者お薦めの一品は大きな鉢に三人前の蕎麦が盛られたもので、おぼろげな記憶では「さわち蕎麦」という名前だった。それから20年が経ち、「あれ、うまかったな」と検索してみたのだが、安中と言わず群馬には「さわち蕎麦」なんてなかった。

 

こうなったら現地まで探しにいこうとまず安中の隣、富岡に立ち寄った。麺のことは麺屋に聞くのが早いだろうと、昼食を兼ねてうどん屋に入り、会計の際、「大きい皿に三人前が乗った蕎麦を出す店を知ってますか」と聞いたが、店主は首を傾げるばかり。同業者が知らないのではとうにつぶれたかと落胆していると、客の一人が「あ、それ、高崎ですよ」と。

 

その客にだいたいの方向を聞き、車で聞き込みを続ける。高崎市に入ったあたりで通りすがりのおばさんに聞くと、1kmほど先の「市川」という蕎麦屋ではないかと言う。そこに行くとなんと「今日はもう蕎麦がすべて売り切れたので店仕舞い」だった。絶望しつつ、店主に「ここは大きい皿に三人前が乗った蕎麦の……」と聞くと、「ああ、それは」と首を振った。

 

目指す蕎麦屋は「めんぼう山本」という別の店で、店に入った瞬間、ああここだと思い出した。早速、蕎麦を注文する。「さわち蕎麦」は記憶違いで、実際は「こはち蕎麦」だった。一日中、群馬で蕎麦屋を探しまわり、日が落ちる頃にやっと見つけ、食ったらすぐに帰る。特に観光もレジャーもなし。人が聞いたら、何をやっているのかって感じかもしれない。

中山道を行く 第5週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第5週をおおくりします。

 

第5週は、始発で家を出て、午前中にJR本庄駅着、本庄宿を出て、倉賀野宿経由で高崎宿に至った。

 

本庄市を出るとほどなく高崎市に入る。高崎と言えば群馬県一の大都市だが、このあたりはまだ山村というロケーション。

そこに突然、おしゃれな洋菓子の工場が出現する。有名な「ガトーフェスタハラダ」の本社工場だ。

工場から香る甘い匂いに記憶が刺激されたのか、洋菓子店と言えば、遠い昔、同じ洋菓子店でバイトしていた横室くんのことを思い出す。

 

卵かけご飯をするとき、母親は卵を落としたあと、必ず「煮えちゃえ~」と言った。

なんでそんなことを言うのか不思議で、子どもの頃に聞いたことがあったが、「生だとお腹が痛くなる」とかそんなことを言っていた記憶がある。だったら焼けばいいじゃないかという話だが、それでは卵かけご飯にならない。

だから茶碗の中で少しだけ煮るということのようだ。

 

横室くんとは同じ大学、同じバイト先、同じサークルだったので何度が一緒に旅行に行ったのだが、あるとき、民宿での朝食に生卵が出て、卵かけご飯にしたのだが、そのとき、彼が小さな声で例の呪文を言ったのだった。「煮えちゃえ~」と。
「え? 今の何?」私は聞いたが、彼は「言わないのー?」としか答えなかった。

 

そのとき、瞬間的に悟った。「煮えちゃえ~」は我が家だけの呪文ではなく、北関東周辺の風習なのではないかと。

確信はない。ただ、家族以外にもそう言う人がいるということはそういうことではないのか。

誰かご存じの方がいたら私に電話してほしい。いや、「スタイリー」(誰も知らん)ではないから電話は困るが、ぜひ公募ガイド社までご一報を。

 

ちなみに横室くんと一緒にバイトしていたのは「六本木クローバー」という洋菓子店の川崎店だった。

群馬の名店「ガトーフェスタハラダ」ほどじゃないけど、コアントローというラズベリーのミルフィーユが人気だった。

六本木本店にはよく仕事帰りに寄っていたが、何年か前に行ったら店がなかった(閉店したようだった)。我が青春が……。無念。

 

午後三時、高崎宿に着き、名物のだるま弁当を食べる。

「カッパピア(遊園地)ってまだあるのかな」と検索したらとうの昔に廃園になっていた。少年時代の思い出が……諸行無常。

 

中山道を行く 第4週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第4週をおおくりします。

 

第4週は、早朝に熊谷駅を出発し、深谷宿を経由し、本庄宿まで歩いた。
深谷はご存じ、一万円札の肖像になる渋沢栄一の故郷。それまで深谷と言えばネギだったが、ここに来て渋沢栄一が代名詞となり、町おこしに一役買っている。

 

埼玉県は熊谷あたりから方言がきつくなる。語感的にはほぼ群馬だ。スターダストレビューというバンドはボーカルの根本要(行田市出身)をはじめ、メンバー全員が埼玉県北部出身だが、たまに出る「……んべ」という方言を聞くと懐かしくなる。

 

中島京子さんの小説『樽とタタン』の中に、「はあ、来たんか」と言うおばあちゃんが出てくる。この「はあ」は「早」がなまったもので、「もう、来たのか」の意だと説明されている。作中ではどの地域かは明らかにされていなかったが、取材のときに中島さんに聞いたら、親御さんの実家が熊谷だそうで、おばあさまの話し方をそのまま使ったらしい。

 

埼玉県北部では、驚いたとき、「てまっ」という。日常会話は、だいたいこの「てま」と「そうなん?」(「そうなんですか」の意)で済む。
「孫ができてよ」「そうなん?」
「それが三つ子で」「てまっ」てな具合。

 

このあたりでは塩気が薄いことを「甘い」と言い、「この味噌汁は甘い」と姑に言われた他県出身のお嫁さんは、塩と砂糖を間違えていれてしまったと思ったのだそうだ。
また、すべすべしていることは「のめっこい」と言う。局所的な方言かと思っていたが、東京と山梨の境に「のめこい温泉」があり、やはり「すべすべしている」という方言から来ていると言う。

 

埼玉県北西部から東京の多摩地区あたりまでは方言的には似ているところがある。これはおそらく養蚕の影響だろう。明治期、外国に売る商品はシルクぐらいしかなく、国の政策で群馬から埼玉、東京都下は桑畑だらけになったが、養蚕を広めるには技術者が必要で、派遣される技術者が群馬県民だったから、群馬弁が北関東に広まったのだ……と推測している。

 

昼過ぎには早くも本庄に着いた。上州路はもう目と鼻の先だ。

中山道を行く 第3週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第3週をおおくりします。

 

第3週は、桶川宿を出発し、鴻巣宿を抜けて、熊谷宿まで歩いた。
桶川はシブがき隊のモックンこと本木雅弘の出身地(シブがき隊って)。この本木雅弘は大河ドラマで斎藤道三を演じていた。道三は茶人でもあるが、しばしば茶で政敵を毒殺した。ある週の放送では美濃の守護大名、土岐頼純に茶を立てるが、茶に毒が盛ってあり……。

 

このとき、「え?」と思った。モックンと言えば、長年、サントリーの緑茶飲料「伊右衛門」のCMキャラクターを務めている。そのモックンがお茶で毒殺なんてシャレにならない。サントリーに怒られないか! などと要らぬ心配をする。
翌日、「伊右衛門」公式ツイッターに載っていた妻役、宮沢りえのツイートがふるっていた。
「昨晩は、主人が熱演のあまり、皆様をお騒がせしましたようで、すみません。まずは心を落ち着け、茶などお召し上がりくださりませ。妻より」

 

出身地と言えば、この日の終着地、熊谷は鎌倉時代の武将、熊谷次郎直実の故郷でもある。
源平合戦は須磨の戦いの際、直実は敵の若き武将を見つけ、一騎打ちを挑む。この時代の習わしで名乗りを上げるが、相手は「名乗らなくても首を取って人に聞け。私を知っているだろうから」と言う。この武将こそが青葉の笛の名手、平敦盛(清盛の甥)だった。
直実は敦盛を逃がそうとしたが、どのみち源氏に殺されてしまうと思い、自らの手で討つ。しかし、彼が年端もいかない青年と知り、ショックを受けて出家してしまうのだ。
幸若舞の「敦盛」はこの場面を題材にしたもの。中段後半にある「人間、五十年、化天のうちを比ぶれば」という節は特に織田信長が好んだことでつとに有名だ。

 

コロナ禍の今年、ある歌舞伎役者がこう聞かれた。
「ステイホームでは何をしていました?」
「ずっと敦盛の稽古をやっていました」
「ハマりますよね、あつもり」

 

本木雅弘が「伊右衛門」のCMをやっていると知らなければなんということもなかった。

熊谷直実も自分が殺した敵が息子ぐらいの年の少年だと知らなければ出家もしなかった。
くだんの歌舞伎役者に質問した人も、勘違いに気づかなければ恥と思わずに済んだ。
人の世は知る必要のないことで満ちている。

中山道を行く 第2週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第2週をおおくりします。

 

第2週は、浦和宿を出発し、大宮宿、上尾宿、桶川宿まで歩いた。
このあたりは我が故郷、埼玉。しかし、郷里とは違って都市部で、「これぞ中山道」という感じはあまりない。住民も、いわゆる埼玉都民が多い。

 

私は地元密着度に応じて、市民を3つに分けている。
第1種市民 祖父の代からの地元民。地元の方言を使う。
第2種市民 父親の代になって移住。子どもは地元の子に近いが、親は親の方言、または標準語で話すので、地元民と他県民とのハーフという感じ。
第3種市民 本人自身が移住してきた人。地元意識は希薄。

 

いきなり話が脱線したが、脱線ついでに言うと、埼玉県の県民性は、あまり特徴がないのが特徴と言われている。
県民性を決める要素は、3つある。
気候・風土=極寒の地だから忍耐強いとか。
産業・豊かさ=経済的に豊かで派手とか。
大藩の教育=藩主が謹厳実直を是としたとか。

 

しかし、埼玉県は晴れの日が多いが、温暖というわけではなく、気候的な県民性はない。
全国的に有名な産業や特産物は少なく、観光地でもなく、県民性を作るほどではない。
小藩分立の県で、藩独自の教育の影響もない。
つまり、なんにもない野っ原にビルと宅地が建ったのが埼玉県南と思えば間違いない。

 

中山道、関係なくなっちゃった!!(というギャグのハライチは上尾出身)。
そうだ、浅田次郎に中山道を扱った『一路』という小説があるが、江戸を目指した参勤交代の一行は最後に大宮宿に泊まる。一気に江戸に行ってもいいが、無理して夜中に江戸に着くくらいならということで、手前の大宮あたりで一泊し、翌日は早朝に出立、昼ぐらいに余裕で江戸に入るのが余裕のある藩のたしなみというものだった。
大宮や浦和が目的地というわけではない、要は泊まるだけの通過宿……というあたりも、何にもない埼玉らしいという気がする。
武蔵路は、ひたすら退屈な道中である。

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