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中山道を行く 第18週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第18週をおおくりします。
第18週は大垣から電車で柏原宿まで行き、醒井宿、番場宿、鳥居本宿、高宮宿、愛知川宿、武佐宿まで行った。

 

第18週の目玉は、彦根城。岐阜城、関ヶ原に続く歴史観光スポットだ。中山道を鳥居本宿まで歩くとそこから右に折れ、数キロ先にある彦根城に寄る。途中、石田三成の佐和山城があったが、ここは全く観光地にはなっておらず、「佐和山城跡」という標識しかなかった。

 

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佐和山を歩いていると、猿がいた。一応、柵があったので動物園にいる感じで立ち止まってみたが、目が合った瞬間、猛然とダッシュしてきて襲いかかってきそうな勢いだった。柵に登り、歯をむいている。野生の猿とふれあおうなんて期待してはいけなかった。

 

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佐和山を越えると、奇怪な施設があった。城? 遊園地? 廃屋? なんだか“出そう”な雰囲気だ。ググってみたら、地元の実業家が作った石田三成のテーマパークだそうだ。ただ、諸事情あり、オープンしないまま現在に至るという。佐和山遊園、興味がある方はぜひ。

 

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その後、ひこにゃんの彦根城に着く。大河ドラマ「おんな城主 直虎」で菅田将暉が演じた井伊直政の城だ(直政は彦根城完成前に亡くなっている)。彦根城が小谷城、長浜城、大津城など近隣の旧城郭の石垣や建造物を再使用したリサイクル城であることはつとに有名だ。

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中山道に戻るとき、スーパーがあった。「え? あのロゴ、イトーヨーカドーじゃないの?」と思ったが、地元のスーパーで「平和堂」というらしい。なんかの法律に触れそうな気がするが、営業しているところをみると問題ないらしい。しかし、似ている。激似だ。

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武佐宿からは中山道を離れるので電車に乗り、夜、八日市駅に着く。駅前には何もなく、コンビニすらない。当然、タクシーもなく、宿まで3km、道に迷いながら歩く。今日はすでに35kmも歩いていて、その上に3kmはつらい。雨まで降り出し、途方もなく遠かった。

中山道を行く 第17週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第17週をおおくりします。
第17週は加納宿を出て、河渡宿、美江寺宿、赤坂宿、垂井宿、関ヶ原宿、今須宿を経由し、柏原宿まで行った。

 

このあたりは山道ではなく、ただの舗装道路を歩く感じ。宿場は多いが、距離はさほどなく、次々に通過。やがて関ヶ原駅まで来る。中山道を歩く旅はいったん中断し、駅前で自転車を借りて関ヶ原古戦場までかっ飛ぶ。初めて乗った電動アシストは楽ちんだった。

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まずは家康の本陣跡を眺め、関ヶ原の戦いが決した決戦の地へ。だだっ広い田園風景の中、葵の御紋の旗が翻っていた。

 

次に石田三成が陣を敷いた笹尾山。ここは少し小高い山裾で、地の利としては断然有利という場所。そこから見下ろすと遥か先に松尾山が見える。

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松尾山は西軍から東軍に寝返った小早川秀秋がいた陣地。ドラマでは秀秋軍は松尾山から一気に駆け下り、味方の大谷吉継軍を奇襲したように描かれているが、行ってみると山頂は山麓から徒歩で40分もかかる。「急襲」というのは少し大げさのような気がした。

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大谷吉継は小早川秀秋が裏切るのを予想していて、関ヶ原に着くと真っ先にその前に陣を敷いたという。しかし、戦乱になると、監視はしていたものの、東軍との戦いに集中せざるを得ず、秀秋の動きに気づかなかった。あるいは、秀秋軍は加勢に来たと思ったか。

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中山道に戻ると柏原駅まで歩く。ここで宿泊したいが、関ヶ原に泊まるところはラブホだけ。仕方なく大垣まで戻り、ビジネスホテルに泊まる。目の前に大垣城。関ヶ原の戦いに際し、石田三成が真っ先に入った城。行きたがったが、足が全く言うことをきかなかった。

 

 

 

 

中山道を行く 第16週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第16週をおおくりします。
第16週~第20週は、ゴールデン・ウィークを使っての4泊5日の行程となる。初日となる第16週は御嶽宿から歩きだし、伏見宿、太田宿、鵠沼宿を越えて、加納宿で一泊した。

 

前日、仕事終わりに名古屋まで行き、カプセルホテルで前泊した。このときは2019年だったが、繁華街は「麒麟が来る」のポスターだらけだった。翌日、御嶽に向かう途中に「明智」という駅があったが、徒歩30分のところに光秀の生誕地、明智城があった。

 

 

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御嶽から先は山道ではなく、平坦な道をただ歩く。途中、遠くの山頂に山城が見えて、ガイドブックによると「猿啄城」とあった。信長に落とされた多治見修理の城だそうだが、先を急ぐので泣く泣くスルーする。城好きとしては残念だが、この先に念願の城があった。

 

 

夕方、加納宿(岐阜駅近く)まで到着する。いったん徒歩の旅は中断し、バスで金華山(稲葉山)に向かう。山頂には斎藤道三の稲葉山城(のちに信長が改名して岐阜城)がある。司馬遼太郎の『国盗り物語』を読んで以来40年、ようやく来ることができた。

 

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本当は徒歩で登りたかった。織田信秀(信長の父親)が斎藤道三を攻めて迫った城。信長が斎藤龍興を攻めた城。これを攻め手の気持ちになって登ってみたかったが、すでに30kmを歩いたあとの足は重く痛く、仕方なくロープウェイに乗ったのだった。

 

 

天守閣に登ると、眼下に長良川が見えた。天守閣は再建されたものだが、最初の天守閣は斎藤道三が作ったものだそうだ。道三、信長、秀吉もこの風景を見たかと思うと感慨深い。後ろ髪を引かれる思いで帰路に着く。明日はもう一つの念願の地、関ヶ原だ。

中山道を行く 第15週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第15週をおおくりします。
第15週は大井宿(恵那駅近く)のビジネスホテルを出て、

大湫宿、細久手宿を経て、御嶽宿まで行った。

 

大井宿を出るとほどなく山道になり、十三峠入り口とあった。

中山道の難所と言えば和田峠、碓氷峠が有名だが、十三峠というのは初耳だった。

しかし、調べてみると、大小十三の峠が連なったもので、

すべて合わせると和田峠を超える中山道最大の難所とあった。

 

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ここは浅田次郎の『一路』にも出てくる難所だそうだが、そうと知ったのは前日のこと。

天気予報では気温が38℃近くにもなるというし、山中で熱中症にでもなったら生きては帰れんと

コンビニで板氷を二つ買い込み、二泊三日の荷物と一緒に背負っての山行となった。

 

実は当初、ここでいったん帰宅するか、30km先の御嶽まで行くか迷っていた。

塩尻から並走していた中央西線が大井から先は名古屋方面にそれてしまい、

適当なところで旅を終えることができない。
この先、中山道は御嶽まで鉄道(名鉄広見線)とは出会わない。

 

中山道地図

 

しかも、途中、コンビニもない道が15kmも続く。

水は多めに持っていたが、それも酷暑ですぐに尽きた。

自販機はないかと思いながら歩いていると、遠くにコーラらしき赤い自販機。

助かったと近づいていくと、それは消火栓だった。人生初の幻覚を見た瞬間だった。

 

しばらく歩くと、また赤い自販機らしきものが見えた。

ロゴはコカ・コーラの「C」に見えるけど、距離は500メートル。

往復1kmも無駄に歩くのはしんどかったが、やはり水分が欲しいと歩き出した。

近くまで来ると、確かに自販機だった。命拾いしたと思った。

 

ところが、硬貨を入れても反応がない。見るとすべて「売り切れ」。

俺を殺す気か。頭にきてすべてのボタンを叩きまくったら、ボトンと出てきた。

「やった!」と手にしたら、なんとホットコーヒー。炎天下でホット。

「ほっとしませんか」じゃねーよ。まあ、飲んだけど。

 

十三峠を越えると大湫に入る。湫は「くて」と読み、湿地帯や沼地を意味する。

秀吉と家康が戦った小牧・長久手の戦いの長久手も長い湿地帯という意味だったのかなどと

歴史に思いを馳せつつ、御嶽を目指す。

酷暑のせいで、ここは真に中山道最大の難所となった。

中山道を行く 第14週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第14週をおおくりします。
第14週は早朝に妻籠の民宿を出て馬籠峠を越え、馬籠宿、落合宿、中津川宿を越え、大井宿のビジネスホテルに泊まった。

今回は中山道の旅初の連泊だった。

 

妻籠の民宿を出たのは8時前だった。しかし、猛暑の8月とあって、すでに気温は30℃近かったが、山道はずっと木陰で涼しかった。

誰もいない山中を一人歩く。

山の中に一人きりというのは解放感があるが、反面、何かあっても誰も助けてくれない怖さがある。

 

売店を過ぎたときだった。山の上のほうから子どもが一人で歩いてきた。

ハイカーかなと思ってみると、登山をするような服装ではない。

しかも、外国人の子だ。後ろに親らしき人はいたのだが、え~、なんでこんな日本の山の中に外国の子が!と狐につままれた気分だった。

 

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あとで聞いた話では、イギリスのBBCで馬籠~妻籠の約9kmの峠道がサムライロードとして紹介され、以来、外国人観光客が多いのだそうだ。私が見た子は裕福な家の子だったが、金欠外国人ハイカーは無料休憩所に宿泊しようとして毎年揉め事が起きるのだそうだ。

 

ところで、馬籠も妻籠ももとは「つまごめ」だったらしい。

「つま」とはどん詰まりという意味で、「ごめ」は狭い谷のこと。

木曽路にはそういう谷が多いのだが、なぜか馬籠は「つ」がとれて「まごめ」になり、妻籠は「め」がとれて「つまご」になったという。

 

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島崎藤村は『夜明け前』の冒頭に「木曽路はすべて山の中にある。」と書いているが、行ってみて全くその通りだと実感した。

ちなみに藤村が生まれたこの馬籠村(のちの長野県山口村)は平成の大合併で岐阜県中津川市となった。

藤村の故郷は長野なのか岐阜なのか。

中山道を行く 第13週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第13週をおおくりします。
第13週は中央本線で上松宿まで行き、須原宿、野尻宿、三留野、妻籠宿の先、大妻籠で民宿に泊まった。

 

中山道の旅では1日に30kmを目安に歩いていたが、1日の後半に峠に差しかかると、へばっているところに山道となってつらい。だから、峠の直前にある宿を予約し、早朝、元気なうちに峠を越えてしまうという方法をとっていた。

 

第12週の奈良井宿でも鳥居峠の直前にある民宿に泊まった。ここは80歳のおじいさんが一人で経営しており、客数は1日2部屋限定だった。おじいさんはとても話し好きで、ガイドブックには「家族的な付き合いを好まない人には向かない」(笑)とあった。

 

第13週は前回の終点、上松駅からスタート。ほどなく、「寝覚の床」を通る。この旅ではとにかく先に進むことを優先し、観光などは二の次だったが、木曽路まで来てしまうと、もうそうそう来られないと思い、興味があるところには寄ってみたりした。

 

 

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伝説によると、浦島太郎は竜宮城から万宝新書というものを持ち帰ったが、そこには飛行の術が書かれており、浦島太郎はこの術を使って各地を飛びまわり、最終的に「寝覚の床」を終の棲家としたそうだ。木曾川の浸食による花崗岩の渓谷は、なかなかの景勝だった。

 

木曾川沿いにのんびり歩いていると、民宿から「何時頃、着きますか」と電話。「あと10kmほどです」と答え、3時間後に着いた。宿の人はいつまで経っても到着しないので迷っているのかと心配したという。おばさんは「あれま、歩いて?」と目を丸くしていた。

 

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妻籠宿は奈良井宿より道幅が狭いが、それはそれで風情のある宿だった。街道沿いには旅籠や飲食店が並び、観光客も多い。私は徒歩で通過したが、ほとんどの人は近くにある駐車場に車を停め、そこから歩いてきているらしかった。まあ、そうだよね。

 

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民宿では客は私一人だった(真夏の中山道はオフシーズン)。

翌朝、外から「ツキヒホシ、ホイホイホイ」という鳴き声がし、「あ、サンコウチョウ」と飛び起きてしまった。月日星なので三光鳥。そのさえずりを生で聴けるとは! あれは気分が爆上がりだった。

中山道を行く 第12週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第12週をおおくりします。
第12週は早朝に奈良井宿の民宿を発ち、鳥居峠を越え、藪原宿、宮ノ越宿、福島宿、上松宿まで歩いた。

 

この日は早朝に宿を出て、体力のあるうちにと鳥居峠を越える。
あとは下りで、午後、巴が淵に出た。
巴という名からわかるように、ここでは三つの川が合流している。
また、木曽義仲の愛妾、巴御前が水浴びをした場所としても知られている。

 

木曽義仲は埼玉県嵐山町にある大蔵館にて、源義賢の次男として生まれた。
義賢は源為義の次男で、北関東を押さえていたが、南関東を押さえていた長男の義朝(頼朝のお父さん)と対立し、義朝の庶長子の義平に急襲され、大蔵合戦で殺されている。

 

このとき、義平は15歳だったが、母親の身分が低かったことから、長男なのに世継ぎという扱いではなく、後継者と目されていたのは三男の頼朝だった

義平が功を焦るようにして叔父さんを殺したのには、父親に認められたいという承認欲求があったからではないか。

 

閑話休題。
義平が大蔵館を襲ったとき、二歳の次男は命を救われ、乳母の夫、中原兼遠のいる木曽に逃れた。

この駒王丸という子がのちに旗揚げし、都から平家を一掃する木曽義仲。
この義仲の愛妾が、戦さでは鎧兜を着て戦った巴御前だ。

(写真は「義仲館」の入り口前だが、行ったときは休館でした)

 

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巴が淵の先には、以仁王の令旨によって義仲が旗揚げをした旗挙八幡宮がある。

さらに中山道を進むと、義仲の菩提寺、徳音寺があり、

山裾に源義仲、中原兼遠の三人の子(巴御前、樋口兼光、今井兼平)の墓があった。
兼光、兼平兄弟は木曽四天王のうちの二人だ。

 

義仲にとって三兄弟は親友でもあり、戦場ではともに戦った戦友でもある。
特に今井兼平とは「死ぬときは一緒」と約束しており、実際、粟津の戦いでは義仲は逃げようと思えば逃げられたが、

別々に死にたくないとあと戻りし、同時に最期を迎えている。

 

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義仲が育った宮ノ越宿を過ぎると、関所跡で有名な木曽福島を通る(写真は関所門)。

近くには「ようこそ木曽路へ」の看板があり、上州路や信濃路のときは何も感じなかったが、

このときは「木曽路」と聞いて、武田鉄也ではないが、「思えば遠くへ来たもんだ」と思ったのだった。

中山道を行く 第11週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第11週をおおくりします。
第11週は金曜の仕事終わりに諏訪まで行き、ビジネスホテルで一泊、翌日は早朝に歩きだし、塩尻宿で塩尻峠を越え、洗馬宿、本山宿、贄川宿を通り、奈良井で連泊した。

 

この日は早朝に下諏訪を出て、塩尻峠を上る。峠にも二種類あり、碓氷峠や和田峠のように山中を行く峠もあれば、ただのアスファルト道の場合もある。塩尻峠は後者で、しかも、登山道ではないので直登に近い。ひたすら登り。これは地味にきつかった。

 

塩尻峠を越えると、あとは平坦な道が続き、腹がすいたなと思ったとき、「そば切り発祥の地」の看板が見えた。そば切りは切ったそばという意味。当初はそばがきのような状態で食べていたそばを、本山宿のあたりでは江戸時代に切って食べた。これがそば切りの嚆矢。

 

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ただ、本山宿には老舗そば店といったものはなく、地元の有志が運営しているそば店があるのみ。でも、まあそれでもいいかと、「本山そばの里」という店に入る。そこでざるそばを注文し、10分ほど経ったとき、別の客が来店し、同じくざるそばを注文した。

 

と、ものの一分もしないうちに彼の前にざるそばが出され、彼は「早っ」と言いながら食べ始めた。おわかりだと思うが、お店の方(年配の女性だった)が出す順番を間違えたのだ。「え?」と思って厨房のほうを見ると、私の視線に気づき、別の若い女性が慌てだした。

 

「なんでA卓に出すのよ。B卓が先よ」はっきり聞こえてしまった。その後、若い女性のほうが謝りに来たが、どうせなら間違った本人に謝りに来させてほしかったなあ。味は今一つ。しかし、食後に出たそば湯はすべてをチャラにしていいくらい濃くて絶品だった。

 

この辺りでは中山道はだいたい国道19号線沿いにあり、贄川宿を過ぎると、突如、江戸時代にタイムスリップしたかのような町並みが現れる。それが奈良井宿だ。これまでも昔の屋敷や民家を再現した宿場はあったが、ここは町並みが1kmぐらい連なっている。

 

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しかも、旅籠屋などもちゃんと営業していて、実際に宿泊もできる。もちろん、そば、うどん、五平餅なども食べられる。妻籠、馬籠とともに中山道三大町並みと言ってよく、実は昨年は二回も行ってしまった。あの古い町並みには、なぜだが心惹かれるものがある。

中山道を行く 第10週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第10週をおおくりします。
第10週は、和田宿にある民宿みやを早朝に出て、中山道最大の難所、和田峠を越え、下諏訪宿まで歩いた。過去最長の距離だった。

 

中山道といって広い国道の中山道もあれば、バイパスの中山道、旧国道の中山道、旧中山道、推定中山道などがあり、微妙にルートが違うのだが、この「中山道を行く」では、江戸時代初期に参勤交代のために整備された原道をたどることを旨としている。

 

もっとも消滅してしまった道もある。たとえば、土砂崩れがあったり、土地開発で整地されて新しい道ができてしまったり。あるいは、もともとは曲がりくねった道だったが、舗装道路ができてまっすぐにされてしまったり。こういうところも原道に忠実に歩く。

 

この中山道の旅も、最初はなんとなく街道沿いに歩けばいいかと思っていたのだが、前回の芦田宿あたりから原道どおりに完歩するコンプリート感がやみつきになり、道を間違ったらもとに戻って歩き直すということもやるようになっていた。

 

さて、和田峠だが、国道をそれて細い舗装道路に入ったが、すぐに「旧中山道はこちら」という看板がでてきて、舗装道路とはあさっての山中を指している。なんか前に同じことがあったな、と嫌な予感がする。そう、碓氷峠のときと同じパターンだ。

 

なんだよ、舗装道路があるのに、なんでこんな山道を、と思ったが、歩いてみると舗装道路より趣があるし、大自然の中を歩いているという感じもし、なにより涼しい。以降、人ひとりやっと通れるような原道を歩くのが楽しみになった。

 

和田峠のピークには割と簡単に着いたのだが、そこから延々と続く急な下りには膝がおかしくなりそうだった。こんな急な下り坂、皇女和宮も徒歩で越えたのだろうか。おまけに、道は細いだけでなく、ところどころ草に覆われて道がわからなくなっている。

 

一度道を見失い、すわ遭難かと焦ったが、ところどころピンクのリボンが結んであり、それが道標だとわかった。このときはそんな常識も知らず、服装はジーンズだし、熊よけの鈴も持っていなかった。だが、もう信濃路。散歩の延長というわけにはいかなくなっていた。

中山道を行く 第9週

カテゴリ:中山道を行く

編集部の黒田です。
今回は、「中山道を行く」第9週をおおくりします。
第9週は、岩村田宿から、塩名田宿、八幡宿、望月宿、芦田宿を越え、長久保宿まで行った。

 

中山道は埼玉ではほぼ高崎線と同じルートをたどり、群馬では横川駅までは信越線が、軽井沢駅からはしなの鉄道がだいたい並走している。
だから、到着した宿場の周囲を探せば近くに駅があるのだが、しなの鉄道は岩村田宿の一つ前の小田井宿あたりから小諸のほうに行ってしまい、最寄り駅がない!
これはけっこう深刻な事態なのだね。

 

1日30km以上歩くので、帰路はくたびれ果てている。そこにもってきて駅まで徒歩で行くのはつらい。
バスがあればいいが、電車もない山中はバスだってあまりないのだ。
じゃあ、前回、岩村田宿で歩くのをやめたとき、どこの駅に行ったのかと言うと、実はすごい駅があった。
それが佐久平駅。ご存じの方もいると思うが、これは新幹線の駅だ。

 

一つ余談。
〈群馬では横川駅までは信越線が、軽井沢駅からはしなの鉄道がだいたい並走している〉と書いたが、「横川・軽井沢間」には在来線がない。
前々回、軽井沢から帰るとき、「在来線乗り場はどこですか」と駅員に聞いたら、「ない」と言われてのけぞってしまった。
あと一駅、どうして延長してくれなかったんだろうね。みんなお金持ちだな。

 

閑話休題。
ということで、この日は贅沢にも新幹線で東京から佐久平まで行き、午前9時ぐらいに歩き始めた。
通過した宿場の数だけ見るとずいぶん歩いたようにも思えるが、距離的にはいつもと変わらず約30km。
長久保宿と和田宿の中間ぐらいのところに宿をとっておいたので、そこに夕方到着し、「何もないがある」みたいな土地を堪能する。

 

本来は宿泊するつもりはなかったのだが、長久保宿まで来ると新幹線の佐久平駅まで戻っても30km、先の諏訪駅までは約40km。
どちらにも行けないし、和田宿の先には中山道最大の難所、和田峠が待ち受けているから、山中で野宿というわけにもいかない。
峠の手前で宿泊し、朝、元気なうちに峠越えをしたほうが安全と判断したわけだ。

 

前日、30km歩いて、宿ではほぼ9割方を休息にあて、翌日は5時にはまた歩き出している。
2日で70km近く歩くこともあるが、せっかくお金をかけて遠出してきたのだから、1kmでも遠くまで行きたいと欲が出る。
70km歩くとかなりの達成感があり、帰りの電車で駅弁を食べながら日本酒など飲んでいると、黄昏がちょっと沁みたりするのだよ、実際。

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