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手で書くということ

カテゴリ:27_エッセイもどき

こんばんは、Jです。

 

何かについて考える時、みなさんは白い紙に手書き派でしょうか、それともスマホやパソコンのメモ帳アプリに打ち込み派でしょうか。

 

どちらも一長一短ありますが、このデジタルの時代に私はあえて手書きを推します。

 

例えばスピードという点で、手書きは打ち込みに負けるかも知れません。でもそこは活字の罠。大したことを書いていない、あるいは話のつながりが破綻していても活字を眺めていると体裁だけはきれいに映るので、(私は)何となく熟慮して推敲を尽くした文章かのような錯覚に陥り、そこで満足してしまうことがままあります。

 

手で書くと不思議とそうはなりにくい。

どうも考えを文字へ起こす回路を通るときに、ある作用が働くようです。

 

まず手で書くという行為は面倒なので、書くぞ!という気持ちがないと文字通り筆が進みません。

頭の中はパソコンのキーボードのように決められた位置に文字が並んでいるわけでもないので、何となく指を滑らせてそれっぽい文章を捏造するという逃げ道も塞がれています。半ば強制的に考えるという行為に向かわされるようなものです。

 

もう一つ。これは手で書く作用というよりは文字自体の力かも知れませんが、手書きの文字には気持ちが乗り移ります。

適当な考えだと文字も適当になります。真剣に考えていると文字も真剣味を帯びてきて、ガチな気分の自分をメタ認知(≒客観視)することができるようになります。つられて気分も乗ってきます。

 

まずは手で書いてみる、全てはそこから始まる気がします。

 

ではまた。

「知る」と「分かる」の違い

カテゴリ:27_エッセイもどき

こんばんは、ウェブ担当のKです。

 

 

「知る」と「分かる」という言葉、似ているようで全く違いますよね。

 

「知る」とは対象を他と違うものと認知すること、「分かる」とは対象を漏れなく理解して自分のものとすること、そのように理解(ややこしい…)しています。

 

ただ知っているという状態は、ともすると「分かっている気になっている」と錯覚してしまうことがあります。

 

聞きかじったことを分かったかのように受け止めないよう、気をつけたいものです。

 

 

自分で見分ける方法は一つ。

 

分かっていれば自分の言葉で語れます。人に教えることができます。

 

 

例えば、学校の先生はもう専門領域について自分なんかより十分に詳しいのに、なぜ人に教える仕事をしているのだろう、知識をひけらかしたいだけなのではないか。

 

 

でもそれは誤解でした。

 

 

教えるとは対象を漏れなく理解して自分のものとしようとする、知の探求活動そのものだと思うのです。

 

続けていくことで初めて、人に「分かった」と言える場所へたどり着けるのではないでしょうか。

 

そんなことを内なる自分に問い直す1月でした。

 

 

P.S.

 

弊社はイニシャルKのスタッフが多いため、次回よりJと名乗ろうと思います。

 

アルファベットでKの一つ前の文字ということで「謙虚に生きていく」という自戒を込め。

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