小説抄 其の15「司馬遼太郎『韃靼疾風録』」
カテゴリ:小説抄
ブログの順番がよくわからなくなっていますが、それはともかく、私のブログもこれが最後になると思います。読んでいただいた方には感謝致します。
最後を飾るのは、10代の頃から大ファンの司馬遼太郎さんです。
さて、韃靼と言ったら韃靼蕎麦を思い出しますが、「だったん」とは「タタール」。中国北部にいた遊牧民ですね。余談ながら(司馬遼太郎風)、タタールは「タルタルソース」の語源だそうです。ソースを作ったのは西洋人だと思いますが。
タタール人はチンギス・ハンのモンゴルに征服されますが、そのモンゴルが滅亡したあと、女真族が統一されます。統一したのは清王朝の初代皇帝ヌルハチです。再び余談ながら、この女真族の民族衣装が現在のチャイニーズドレス。清の時代に中国全土に広まったそうです。
さて、『韃靼疾風録』。これは司馬遼太郎最後の小説と言われています。これ以降はエッセイや対談集は出していますが、物語は書いていません。王貞治は「王貞治のバッティングができなくなった」と言って引退しますが、司馬遼太郎も「司馬遼太郎の小説が書けなくなった」と思ったのかもしれませんね。
『韃靼疾風録』の舞台は江戸時代の初め。中国は漢民族の明の時代ですが、辺境の夷敵に過ぎなかった清王朝三代皇帝ドルゴンが万里の長城を破って明に流れ込み、そのまま中国を統一します。これがクライマックスとなりますが、この小説では司馬遼太郎は皇帝を主人公にはしませんでした。
物語は、日本の平戸にアビアという女性が流れ着くところから始まります。アビアは女真族の公主です。鎖国期の日本にはいられません。それで下級武士の庄助に白羽の矢が立ち、藩から満州まで送り届けろと命令されます。冒頭でそう言われたら、当然、こう思います。「庄助がアビアを送り届けるのがこの小説の物語上の目的なんだろうな」と。ところが、文庫で上下巻ある途中で、庄助は無事、アビアを満州まで送り届けてしまうのです。任務完了です。
清王朝が明を倒すクライマックスは圧巻ですが、一方で、「主人公の庄助とアビアはどこに行ってしまったんだ」という思いがありました。『国盗り物語』は斎藤道三、織田信長、明智光秀と主人公が変わりますが、『韃靼疾風録』は途中で主人公不在になるんです。物語としては最高に面白いのですが、「主人公わい」と思ってしまうのですね。
で、『韃靼疾風録』の終わりにこうあるんです。
それはべつとして、庄助やアビアはいつ死んだのであろう。
そのことを詮索する根気は、筆者においてもはや尽きた。
(司馬遼太郎『韃靼疾風録』)
「ちょっと先生!」と思ってしまいました。ノンフィクションではないのだから、先生が心折れてしまっては、我々読者はどうしたらいいの?という感じです。
〈最後に庄助とアビアを登場させなければ物語としてアンバランス〉ということぐらいわかっていたはずですが、精も根も尽きてしまったようですね。
有終の美を飾るとは言いますが、なかなかそうはいきません。まだ力があるうちは「まだいける」と思ってしまいます。この引き際が難しい。司馬遼太郎さんだって『韃靼疾風録』がうまくいっていれば、もう一作、中国ものを書いていたかもしれません。結局は「もう限界」と思わせてくれるきっかけが必要になります。つまり、最後の最後は敗北するわけですね。千代の富士も矢吹丈もロッキーもそうでした。
でも、それが格好いい。矢吹丈ではないですが、最後は「ほんの瞬間にせよ、まぶしいほどまっ赤に燃えあがるんだ。そしてあとにはまっ白な灰だけが残る。燃えかすなんか残りやしない。まっ白な灰だけだ」と言ってみたいものです。
(黒田)