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学校教育と大喜利

カテゴリ:05_東京タワーの写真で締める


こんにちは、エビスです。

 

「自由なテーマで」となると文句ばっかり出てきちゃうタイプの人間です。
でも、ネガティブなことばっかり書いていたら怒られてしまうので、今回は趣味である大喜利の話をします。あくまでわたしの持論なので、「そんなことないだろ!」と思う方がいらっしゃればそんなことないのかもしれません。

 

学校(特に小中、あと高も?)の国語のテストなんかで、文章題において「~はなぜ?」みたいに理由を聞かれたら、「~から。」と答えないといけないというルール、ありませんでしたか?内容はあっているのに「~から。」と書いていないと問答無用で減点される、なんてこともあった気がします。問「Aくんが怒った理由を答えよ。」答「~に腹が立ったから。」みたいなことです。

 

でも、この手の問題って本当に「~から」じゃない答えはすべておかしいと言い切れるのでしょうか。「~への怒り。」みたいな答え方でも不自然ではない気がします。この「~から」の洗脳が大人になっても残っている人はひょっとしたら多いのかもしれません。

 

さて、ここからが大喜利の話です。たとえば「始業式で、『校長、まだ夏休み気分が抜けていないのかな…?』どうしてそう思った?」というお題があったとします。(ちなみにメルマガ大喜利でちょっと前に出したお題です)
それに対して、「スイカ割みたいな感じで始業式に登場した」みたいな答えを出したいなあ。と思ったとしましょう。
そこで、「目隠しをした状態で、教頭先生に『右!右!もうちょっと右!』と指示されながら舞台上に上がっていたから。」みたいに答えてしまうのは「~から洗脳」じゃない?と私は思うのです。

 

大喜利の答えは基本的には端的なほうがよいもの。わたしも回答を出す前にはプレバトの俳句の夏井先生のような気持ちで添削をします。
「上がっていたから。」では、回答の肝の後が冗長です。
「舞台上に上がっていたから。」よりも「舞台上に上がっていた。」
さらにいうと「舞台上に上がった。」でいいし、なんなら「舞台上へ。」でいいのです。

これでも十分言いたいことは伝わりますし、国語のテストじゃないので何ら問題ないことです。
「~から」で終わらそうとしたんだなあ感がでてしまうと、あまりに子供っぽくって(≒素人臭くって)損をしてしまいます。
メルマガ大喜利なんかで読者の皆さんの回答を見る機会があるのですが、「~から」にこだわってしまっているなあという人が結構います。
わたしはそれを見るたびに(特に内容的に面白いとなおさら)「もったいないなあ」と思ってしまうのです。

 

余談ですがほかには、さっきの回答だと
「目隠しをした状態で」→「目隠しをして」
「教頭先生」→「教頭」
「舞台上に上がる」→「舞台に上がる」
みたいに文字数を削れますね。

 

こうやって文字数を削るだけで、凡庸な回答でもさっと入ってくるようになり、それっぽく見せられるようになるわけです。
本当は語順とか言い回しとかも言いだしたらキリがないのですが、難しい話かつ少しまだ感覚的にしか捉えきれていないので説明はしません。

 

国語洗脳と大喜利の話でもう一つ気になっている事象があるので、覚えていたらまた次回もこんな話です。

🗼<オシマイ

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