TK-プレス 其の19「詩で食っていけない理由」
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榊原淳子と聞いて、榊原郁恵と桜田淳子を足して二で割ったようなアイドルでもデビューしたのかと思ったが、それは新鋭の詩人だった。友人曰く、『世紀末オーガズム』という詩集の中の「手を清潔にしたい そして髪をかきあげたい」という詩は、肩を抱いて慰めたくなるぐらい切ないと言う。1983年秋のことだった。以下、さわりを引用する(……の部分は中略の意)。
「手を洗っています/もう二十回も洗いました/今二十一回めです……蛇口の飛沫が/また、ついてしまいました/もう一度やりなおしです……私は、髪をかきあげたい……でもバイキンが残っているかもしれません……涙が出てきます/どうして私は泣いているのでしょう……手を/清潔にしなければなりません/蛇口に水をかけます 速く/もっと速く/体が硬直します 速く/速く ハヤク/蛇口に水をかけます」
このときは、「もう手は十分にきれいですから。それにちょっとぐらいバイキンが着いていたって死にはしませんから。誰か教えてやれよ!」などと情緒もへったくれもないことを思っていたが、しばらくたって『サイコ・ドクター』という漫画を読んでいたら、これと同じ場面が出てきて、強迫神経症のひとつだと知った。ふむ、そうだったのか。
作者の榊原さんは、70年代末、「ユリイカ」という雑誌の投稿詩欄「解放区」の常連だったそうだ。詩誌への投稿がデビューへの道だったわけだ。もうひとつ、「現代詩手帖」という雑誌があり、こちらも詩人の登龍門的詩誌だった。この手の雑誌がけっこう売れていたということ自体、ある種、奇跡的な現象だったかもしれない。
ただ、現代詩ブームの頃でさえ詩で食えたかどうか。小説の場合、感銘を受けると同じ作家の別の作品を読みたくなるが、詩の場合は同じ作品だけを何十年も味わっていたいと思う。その作品は読むたびに深みを増し、また違った見え方をしてくるから、いつまでたっても飽きない。それでは詩人は食っていけないだろうなとは思うが、もっとも詩人のほうはそもそもそれを職業とは思ってはいないだろう。(黒)
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