小説抄 其の30「三浦哲郎『拳銃と十五の短篇』」
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子どもの頃、父はときどき日本刀を取り出して手入れをしていた。唾液が飛ばないように半紙を口にくわえて打ち粉をつけたりするのだが、危険物を扱っているせいか、その場の空気が張り詰めていた記憶がある。高度経済成長のまっただなか、まだ羽振りがよかった頃だ。数年前、父はその日本刀を引っ張り出し、引き取ってくれと言った。このとき、父の会社には3億の負債があり、倒産すれば家も土地も家財道具も人手に渡る、遺産どころか負の遺産しか残らない、だから今のうちにということだったらしい。
家に帰ったあと、なんだか三浦哲郎の『拳銃』みたいだと思った。ある日、母親から電話がかかってきて、父親の遺品を調べていたら六連発の拳銃が出てきた、怖いから処分してくれと言われる。三浦哲郎は六人兄弟の末っ子として生まれたが、障害を持つ姉二人が次々に自殺、二人の兄は失踪という血を持つ。そんな子どもを持った父親は、死のうと思えばいつでも死ねるということを糧に生きてきた。父親の死後、その拳銃を見たとき、息子である三浦哲郎は一瞬でそうさとったことを思い出す。『拳銃』はそういう話だ。
この小説では、余命いくばくもない父親を「毎日少しずつ死んでいく父親」と表現している。なるほどと思う。私の父も死期を宣告され、しかし、本人が手術を拒否したので、最後の数年はまさにそんな感じだった。また、この小説では父親を拳銃に象徴させており、そこが絶妙だ。死だとか人生だとか目に見えないものを語っても読後感は漠としてしまうが、拳銃というモノに仮託すると、ずっしりと重さが感じられる。これほどモノをうまく使ったモノ語りはなかなかない。
さて、しばらくして、父から「やっぱり処分しろ」と言われた。それで刀剣屋に売ってしまったのだが、思い出がひとつなくなったようで寂しいものがあった。しかし、あとになってみると、あれは最後のおこづかいのつもりだったのではないかという気がして、今はその親心のほうが切ない。(黒)
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