選外佳作「鍋女 塚田浩司」

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2016.11.15

第20回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「鍋女 塚田浩司」

家族と行ったホームセンターで、見覚えのある鍋をみつけた。それは二人用の小さな鍋。

あれは大学進学のため地元長野から東京へ越して一週間ほどしたころ。
僕は孤独というものに完全にやられていた。地元にいた時は、まさか自分がこんなにも寂しがり屋だと思ってもみなかった。知り合いのいない大都会のアパートに一人とはいえ、ホームシックになるとは。それを知られたくなくて家に電話も掛けられなかった。
そんな時、インターホンが鳴った。初めて聞くその音に僕はビクッとした。おそるおそる扉を開けるとそこには女が鍋を持って立っていた。
年は自分と同じくらいで、化粧っ気もなく地味な女。女が口を開いた。
「あのう、夕飯を作り過ぎてしまったので、もしよければ食べてくれませんか? 私は隣の者です。昨日越してきました」
普通なら不審に思うとこだが、人の良さそうな雰囲気と美味しそうな匂いから、お言葉に甘えて頂くことにした。
「食べ終わったら、家の前に置いておいて下さい。洗わなくていいですから」
僕は礼を言って女から鍋つかみごと鍋を受けとり、女は自分の部屋へと帰っていった。
部屋で鍋を開けると中にはおでんが入っていた。食べてみるとほっとする味で、この感覚は母さんの手料理だ。つい最近まで食べていたのに懐かしい。そういえば女の風貌も小太りでどことなく母さんに似ている。それに鍋つかみを良く見るとこれはTシャツを切って作った物。母さんも古くなったTシャツを切って雑巾に再利用していた。なんだか笑ってしまう。思えばこの部屋で初めて笑った。僕はその家庭的な隣人に親しみを込めて鍋女と呼ぶことにした。
翌朝、僕は鍋を洗って家の前に置いておいた。すると夜にはまた鍋女がインターホンを押してきた。
「一人分を作るのが難しくて、もしよかったら今日も食べてくれませんか」
僕は「おでん美味しかったです」と昨日のお礼を言い、喜んで鍋を受けった。
この日の鍋の中身はカレーだった。しまったご飯を炊いていない。そう思っていたら、またインターホンが鳴った。「ご飯炊いてないかなと思って」鍋女がご飯を持ってきてくれた。
鍋女は次の日も次の日も鍋を持ってきてくれる。シチューだったり肉じゃがだったりと、その美味しい料理に寂しさが紛れていた。
ただ僕は贅沢な事を思っていた。鍋女がもう少し美人だったらなあと。もし美人なら胃袋ごと捕まれているに違いない。でもドラマじゃあるまいし仕方がないな。と罰当たりな妄想に耽っていた。
そんな鍋女とのやり取りも半年ほど続いた。鍋女とは鍋を通すだけで、あいさつ程度の会話しかしないし、名前さえ知らない。表札に書いてある苗字は分かるけれど下の名は知らないという不思議な関係だ。
僕はというと半年も経ち、すっかり大学にも慣れていた。サークルにも入り、友人宅に泊まりに行くこともあって鍋女の料理を食べる事もほとんどなくなった。
少しづつ寒くなり始めたある日、街を歩いていると雑貨屋のショーウインドーに流行りのキャラクターが描かれた鍋つかみが飾ってあった。それを見たらふと鍋女の顔が浮かんだ。
よくよく考えると鍋女からは貰ってばかりで全くお返し出来ていない。僕はその鍋つかみを買った。雑貨屋からの帰り道、渡した時、鍋女がどういう反応をするのか早く見たいと小走りになっていた。
アパートに着くとちょうど家の前に鍋女が立っていて、これから出掛けるような素振りだ。声を掛けようとすると鍋女の部屋の中から男が出てきた。男は鍋女の手を握った。その時、鍋女と目が合ったが会話はしなかった。
渡すことも出来ずに部屋に戻り、「物好きな男もいるものだなあ」と独り言を言った。
すると、何とも言えない虚しさが残った。何となしにぽつんと置かれた鍋つかみの包みを見ると、くしゃっと変形していた。
それから数週間後、部屋の前に置手紙といつもの鍋が置いてあった。鍋の中身は最初と同じおでんだった。置手紙には簡単な言葉が綴られていた。
「引っ越すことになりました。今まで食べてくれてありがとうございました。おかげで寂しさがまぎれました」

キッチンコーナーで二人用の鍋を手に取ると「小さすぎだよ」と嫁の声。ろくに料理もしないくせにと僕は心の中で毒づいた。
そして厚化粧な嫁の顔を見ながらも、鍋女の顔を思い浮かべ、あれも恋だったのかな。と名前も知らない女を懐かしんだのであった。