選外佳作「木製ドアの向こう側 家間歳和」

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2016.12.15

第21回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「木製ドアの向こう側 家間歳和」

ドンドンドン! ドンドンドン!
激しくドアをノックする音が、壱郎の睡眠を破った。昨夜は同期飲み会だった。深い夜まで酒を浴びていた壱郎の頭は、ドンドンという音にズキンズキンと呼応した。
このアパートの、かなり旧型である玄関ドアは、湿気を含みまくった木製で、ノックの音にも水分が感じられる。その水気が不快感を増幅させているようで、壱郎の気分を泥沼の中に押しこめる力を持っていた。
「なにをしているんだ、早く出ろよ!」と、壱郎は声にせずに叫んだ。
音の出所は、壱郎の部屋ではない。耳に届く感覚から、右隣の部屋のドアをたたく音であろう。六畳一間のぼろアパート。声高の会話は筒抜けである壁の薄さ。軽いノックでも部屋中に音が響く構造は、呼び鈴よりもノックの方が効果的に伝わるというアパートだ。ただ、強烈なノックは燐室の迷惑を生む、という方程式に気づく来客は少ない。
ドンドンドン! ドンドンドン!
鳴り止まぬ不快音。おそらく隣人は留守なのだ。いいかげんにあきらめろ、と抗議するつもりで、壱郎は布団から出て玄関へ歩む。新聞受けに挟まった新聞を力任せに引き抜いて、ガチャンという音を作った。
この抗議音は隣室の客にも届いたようで、ノックが止まった。ふん、と鼻息を出した壱郎は、二日酔いの頭を揺らしながら、再び布団に倒れ込もうとした、そのとき……。
ドンドンドン! ドンドンドン!
激しい連打が復活した。しかもその音は隣室ではない。壱郎の部屋の木製ドアだ。
「なんなんだよ、いったい」
そうつぶやいた壱郎は、玄関に引き返し、ドアスコープに目をくっつける。扉の前に立っていたのは、黒っぽいスーツに深紅のネクタイを締めた背の高い男だった。
居留守を使おうかとも思ったが、新聞を引き抜いたので在宅であることはばれている。壱郎は仕方なくドアを開けた。
「突然のご訪問に申し訳ありませんのです。少しばかりお聞きしたい件のございます」
滑らかではあるが、どこかピントのずれた日本語で、その男は声を発した。彫りの深い顔立ちの中で主張している濃い眉毛と長いまつ毛。明らかに日本人ではない。
「なんですか?」
壱郎の無愛想な返答に、男は笑みを返す。
「隣室の人は留守のようでありますのだが、どこに出かけたのであろうか、ご存知と思いましたら、お教えくださるでしょうか」
「いえ、全然知りません」
そう答えると壱郎は、まだ話を続ける気配を見せる男を無視してドアを閉じた。男はあきらめたのか、立ち去る靴音を響かせた。
頭は痛むものの、妙な興奮に眠気が失せてしまった壱郎は、冷蔵庫から水を出し、ローテーブルの前に座り、新聞を広げた……と、一面の記事が衝撃を呼ぶ。
〈ビンタラック公国との国交樹立〉の見出しが踊る記事。日本の外相と、ビンタラック公国の外務担当者である、ラインプルなる人物が握手するカラー写真。そのラインプルの顔は、今、ドアの向こうにいた男に瓜二つなのだ。しかも写真の男が着る、黒っぽいスーツと深紅のネクタイ。これも同じだ。
壱郎はあわててネットでビンタラック公国を検索してみた。サイトのトップに国家元首である、トリィビリンなる大公の顔写真が現れた。ラインプルより太ってはいるものの、濃い眉毛と長いまつ毛が主張する顔は、どことなく共通する雰囲気がある。どうやらこの国は、西方面の島国で、近未来エネルギーといわれる天然資源の産出国らしい。政府のページを開くと、外務担当政府顧問の欄に、ラインプルの顔写真が掲載されていた。間違いなく先ほどの男だ。だがなぜ、そんな人物がこんなアパートに……。
結論の出ない妄想が駆け巡る。なにか悪い予感めいたものがうずく。隣室の住人との交流は皆無。年配のおじさんの出入りを見たことはあるが、挨拶をかわしたこともない。もしかして、スパイ……いや、そんな映画のような展開はあり得ない。考えても答が見つかるはずはない、が、考えてしまう。
そのときだ。隣室のカギを開ける音が耳に入った。壱郎は急いで玄関へ行き、小さくドアを開けてのぞいた。と、隣室に入ろうとする年配のおじさんがこちらを見た。視線が合う……壱郎は目を大きく見開いた。
トリィビリンだ! さっきネットで見たばかりの、ビンタラック公国の大公だ!
トリィビリンは、軽い会釈を壱郎に投じたあと、隣室に消えた。壱郎の中にある霧は、さらなる視界を奪う煙霧となった。
隣室の木製ドアが、バタンという音とともに閉まる。その水気を含んだ音は、頭内にズキンという痛みを落とした。