選外佳作「星の瞬く夜に 小島空見子」

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2016.12.15

第21回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「星の瞬く夜に 小島空見子」

子供の頃、私はおとぎ話を信じていた。いつか、あの空の向こうから未知の何かがやって来るのだと飽きもせず夜空を眺めて過ごしたものだ。成長と共にそんな奇跡は求めなくなったが、おかげで天文学者になれた。
年を経て私はますます熱心に研究に打ち込むようになり、この夏には、星が美しい山間の別荘地に家族とともに移り住むことにした。
移住してみると、標高の高いこの辺りに一年を通して住み続けるのは、我が家と隣の二軒だけだった。隣人は一人暮らしの老人で、この地で悠々自適な余生を楽しんでいるように見える。少々偏屈な人柄らしく、私が妻と息子を連れて引っ越しの挨拶に出向くと、
「困るんだよ。勝手に隣に引っ越して来られちゃ」
と、不機嫌そうに呟かれてしまった。
無愛想な隣人だが、幼い息子は彼をたいそう気に入り、よく隣へ遊びに出掛けていた。
「今日ね、おじいちゃんと一緒に裏の納屋にいる動物にエサをあげたの」
夕食どきに、隣家での出来事を楽しそうに語る息子を見て、近くに遊び友達のいない息子を孫のように可愛がってくれる隣人に、私は心の中で深く感謝するのだった。
ある夜、私が夜遅くまで星空の観測をしていると、隣家に数人の男が訪ねて来るのが見えた。こんな深夜に何事かと咄嗟に身を隠して様子を伺うと、彼らは口々に異なる外国語で挨拶を交わしながら、こそこそと人目を避けるようにして家の中に消えて行った。私は、その怪しげな様子に無性に胸がざわつき、居ても立っても居られず寝室で眠る妻を揺り起こした。
「おい、いま隣の家に怪しい男たちが入っていったぞ」
「宜しいじゃないですか、お客さんでしょ」
「いや、こんな夜中に、闇に紛れるようにしてやって来るなんて変だろう。それに全員が違う国の言葉を話す奴らだったんだ」
「そう言えば……」
妻も何かを思い出した様子で起き上がると
「私もお隣にお料理を持って行ったら、何か見られたくないものでもあるかのように、慌てて部屋のドアを閉められたわ。隙間からチラリと目に入ったのだけど、テーブルの上には、大きな世界地図が広げてあったの」
と、言って不思議そうに小首をかしげた。
世界地図を広げ、数カ国語を操る男たちが出入りする家。隣人は何者なのだろう? その日から、私の想像は悪い方にばかり偏っていった。彼は人里離れて隠れ住む凶悪犯だろうか? それとも、どこかの国のスパイ?
やがて時が過ぎ、遠くの山の頂きが雪化粧で覆われるころ、我が家の庭にも初雪が降りてきた。すると寒い中、隣人が庭に出て掘りの隙間をくぐり抜けたり、壁をよじ登ったりと怪しい行動をし始めたではないか。私は垣根越しに「どうされたのか」と聞いてみた。
「そろそろ仕事を始めるんで身体を鍛えている。腹が邪魔だから、少々ダイエットもしないといかんな」
気付けば、伸ばし放題の髪や髭が彼を別人のように誰だかわからなくしていた。これは、いよいよ人相を隠して銀行強盗でも始める気ではないのかと、私は内心、震えが止まらなかった。
暮れも押し詰まった日の夜、とうとう私は彼らの悪だくみのしっぽをつかんだ。隣家に巨大なトラックが次々とやって来て、大量の積み荷を裏庭の納屋へ運び込んでいたのだ。思うに、隣人は国際的な大窃盗団のボスで、ここは奴らのアジトに違いない。
私は自室に隠れて、彼らを通報する機会を伺っていた。すると、急に外から賑やかな歓声が聞こえた。隣家のバルコニーが大きく開け放たれたのだ。何が始まるのかと見つめる私の目に飛び込んできたのは、煌々と光を放つ部屋から歩み出る真っ赤な衣装に身を包んだ隣人の姿だった。隣人が天高く口笛を吹くと、裏庭から鈴の音と共に巨大なトナカイがそりを引いてバルコニーに駆けつけた。
「ルドルフ。今年も頼んだぞ」
その声を皮切りに、部屋の中からは幾人もの赤い服装の男たちが現れ、自分たちもトナカイを呼ぶと、あれよあれよという間に星の瞬く夜空へと消えていった。私はあまりの出来事に胸が震え、言葉を失っていた。
明け方近く、二階の子供部屋のベッドに腰掛けて息子の寝顔を見つめていた私は、窓ガラスを叩く音に気づいて立ち上がった。静かにカーテンを開けると、そこには、そりに乗って穏やかな笑みを浮かべる隣人がいた。
「お帰りなさい。ニコラウスさん」
私の言葉に、彼は少し困ったような顔で何か言おうとしたが、すぐに思い直したように肩をすくめ、代わりに私の息子へのプレゼントを差し出した。
「遅くなってすまんな。メリークリスマス」
朝の光が美しく隣人を縁取っていた。