選外佳作「久子ちゃんの桜 やまざき和子」

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2017.04.15

第25回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「久子ちゃんの桜 やまざき和子」

久子ちゃんが我が家の前の家に越してきたのは、私が小学校三年の時だった。ずっと空き家になっていた家に人が入っただけでも嬉しかったが、更にその家に小さな子が何人も居るらしいと知った時にはもっと嬉しかった。
私の家には門があって、家屋はその奥だったから、前、とは言っても門まで出ていかなくてはその家を見ることは出来ない。いっぽう前の家は低い垣根に囲まれた平家だったから、私が門柱の横に立てば家全体がそっくり見えるのだった。私は毎日のように門から前の家を眺め、そこに自分と同じくらいの年ごろの女の子が居ることも、どうやらその女の子が一番上で、下に弟と妹が居るらしいことも知ったのだった。そしてある日、私は思い切って「あたしは和子です。お友達になってください」と手紙を書いて前の家のポストに入れたのだった。
前の家に越して来た女の子は久子ちゃんといって私より一学年下だった。手紙を書いたおかげで、翌日いつものように門から眺めていたらお母様が「遊びにいらっしゃい」と声をかけてくれて、すんなり久子ちゃんと友達になれたのである。久子ちゃんは静かなたちで、一番小さい妹の幸子ちゃんの面倒をよく見る子だった。遊ぶにしても、他の子とだったらカンけりや木登りに熱中していた私だが、久子ちゃんと遊ぶ時にはおうちごっこやお店屋さんごっこばかりした。もしも久子ちゃんが同級生だったら仲良しになるような子ではなかったと思うが、私から手紙を書いて友達になってもらった、という弱みがあるので、三日に一度は一緒に遊んでいたように思う。
あるとき、久子ちゃんが「はっぱの交換をしない?」と提案した。久子ちゃんの家の前には小さな桜の木があった。その葉と、我が家の紫陽花の葉を交換して、それぞれの庭に埋めようというのである。なぜそんなことをするのか分からなかったが、これもまた友達になってもらった弱みで「いいわよ」と返事をして、それから会うたびに葉っぱを持ち寄っては庭に埋めるということをするようになった。「これ、あたしの宝物にするから、和子ちゃんもあたしの桜を宝物にしてね」と久子ちゃんは言う。埋めた桜の葉が特別大事なものとも思わなかったが、なりゆきで、うんうんと答えたのであった。
二年ほどして久子ちゃんの家族は急に引越しをしていって、前の家はまた空き家になった。お別れの挨拶をしたわけでもなく転居先も分からなかったから久子ちゃんとの縁はそれっきりになり、元々そう仲良しというわけでもなかったからいつの間にか前の家の子供たちのことはすっかり忘れてしまった。
久子ちゃんと思わぬ再会をしたのは、高校三年の時だった。その年の生徒総会で、生徒会長に立候補したのが久子ちゃんだったのである。同じ高校に進学していたとは知らなかった。そしてあの久子ちゃんが、生徒会長に立候補した、ということに私は驚いた。彼女は、会長には選ばれなかったが、副会長になった。当時、新聞部に所属していた私とはその時から生徒会活動で顔を合わせるようになり、ほぼ十年ぶりに交流が復活したのであった。
一年後輩の久子ちゃんは、高校に入学した当初から私のことは気付いていたらしい。生徒会長への立候補は、お母様の薦めだといった。「母は何かというと、和子ちゃんみたいにハキハキなさいっていうのよ。高校の先輩に和子ちゃんが居たけど、あたしのことは全然気がついてないみたいよっていったら、じゃあ、生徒会長に立候補すればいいっていうの」という言葉にはびっくりを通り越して呆れてしまった。
久子ちゃんは、昔、庭の葉っぱを交換したことを覚えていた。「あたしの桜、まだあるかしら?」と久子ちゃんは聞く。桜はもちろん健在だったが、自分が庭に埋めた葉っぱがどうなっているかなんて考えたこともなかったので何とも答えようがなかった。
高校を卒業した私は大学に進学し、久子ちゃんは、卒業したら専門学校で図書館の司書になる勉強をするつもりだといっていた。そしてまた私たちの縁は切れた。
ところがつい先日のことだった。新聞の城北版で久子ちゃんの訃報を知ったのである。彼女は図書館で司書の仕事をしながら、池袋のホームレスがたまり場にしている公園で、長年炊き出しの奉仕をしていて、「裏町のマリヤ」と呼ばれていたらしい。持病の腎不全で入院してからもホームレスの人たちが交代で見舞いに行っていたという。
とうに人手に渡っている実家を今更訪ねることもないが、あの桜は今でも春ごとに花をつけているだろうか。思えば久子ちゃんという人は、ひととき人の心を明るくして、はらはらと散っていく桜の花のような人だったなーとしみじみ思ったことであった。