選外佳作「津波の落し物 走山竜一」

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2017.05.15

第26回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「津波の落し物 走山竜一」

「気をつけ、敬礼、直れ。称呼番号及び氏名!」とあるLA刑務所の分類面接室に気迫ある刑務官の号令が響いた。
毅然と構える分類主席に一礼し「二○七七番、荒井光男」と小刻みに震える声で応えた。
「荒井、残念なことを伝えざるを得ない……先日の地方更生保護委員会による仮釈放審理結果だが、決定が来て棄却だ。無期刑を無事故で真面目に勤めていることは理解しているが委員会の決定だ。」
「ダメでしたか。遺族感情が悪いのですか。もう七十九歳ですから。堀の中で朽ち果てるのを待つだけです。」と肩を落とした。
「真面目にあと、二、三年やっていると仮釈放の再上甲ということもある。内妻と一緒に暮らすのも夢じゃないぞ。」と首席に励まされ、刑務官に連行されて作業場の製靴工場に戻った。もう三十年もこの工場で紳士靴を作っているベテランの一等工だ。その工場は三人に二人が無期受刑者で、無期は仮釈放をもらわないと永久に出所できない。
事件は三十一年前の四十八歳のとき。叔父のした強盗殺人の身代わりだと称している。中学卒業後から製鉄会社で働き続け、病弱な内妻と三陸の港町で暮らしていた。内妻は荒井の無実を信じているが、無実を主張しても「悔悟(かいご)の情(じょう)なし」として仮釈放にならないことを恐れて沈黙していた。荒井も長い時間が経ったせいか、自分が本当にしたのか夢幻のようで、判然としなくなっていた。同衆の無期たちは、暗い影を背中に刻みながら反省の言葉を繰り返すが、遠い昔のこととしておぼろげに記憶している者も少なからずいた。
荒井には生き甲斐が二つあった。一つは内妻に預けた預金通帳に六十歳から二ヶ月に一度、厚生年金が振り込まれてくること。生活費としては十分な金額で、それは生きている限り永遠に続く。「刑務所から出られなくても内妻を養うことができる。生きてさえいれば」と生きる値打ちを悟っていた。
二つ目は株式の売買。内妻に手紙、時には電報で売り買いの指示を出した。情報は無料の回覧新聞から得ていたが、最近は自費で経済新聞を購読していた。新聞はその日のうちに読むことができた。細かな値動きは分からなくても、経済の大きな転換期に買い注文を入れると大きく勝つことができた。
それから二年後の平成二十三年三月十一日、東日本大震災が勃発した。刑務所の工場も被災したため、居室のカラーテレビでリアルな震災報道をずっと見ていた。内妻の住む三陸の港も津波に襲われた。翌月、内妻の遺体が確認された。工場担当職員から慰められたが、職員の身内でも津波の犠牲者が少なからずいた。荒井が真犯人と称していた叔父が亡くなったことも親戚からの電報で知らされた。
身元引受人を内妻から地元の知人に変更して仮釈放の再上甲がなされた。事件の遺族も津波で亡くなっていた。審査の結果、ようやく仮釈放が認められた。
三陸の海をずっと眺めながら「あのとき、最初の審査で仮釈放になっていれば、内妻と一緒に津波で流されていた。棄却になり当時は失望したが、結果として生きながらえることができた。無期と同じように、人間は何かに生かされている。」と感慨深かった。
荒井は服役生活を振り返ってみた。食事、衛生など最低限の生活水準は保たれていた。同室者と慰め合い、時にいがみ合い。厳しいが総じて真面目で公平な刑務官。春が来て、夏が来て、冬が来て、また春が来ての繰り返し。新しい刑務官が採用になり、一人前になり、ベテラン、そして定年退職していく。絶望して自殺した無期もいた、仮釈放を待たず病死や寿命の尽きた無期も大勢いた。
ふと、社会に大きな落し物をしていることに気付いた。八十二歳の身であと何年生きられるか。そう思うと無性に靴が作りたかった。三十余年間、紳士靴を作り続けた腕があり、刑務所作業製品のコンクールで法務大臣賞までもらっていた。ただし、作業専門官の設計どおり作らないと、不正製作の規律違反として重い懲罰が科せられる。
半年後、内妻のお墓近くの高台に、株の資金をもとに小さな店を構え、靴を作る荒井の姿があった。「自分がデザインした靴が作りたい。今は自由だ。」と目を輝かしている。
仮釈放に伴う保護観察では担当の保護司が指定される。担当の保護司は荒井の暮らしぶりを見定めて保護観察官にこう報告した。
「仮釈放に伴う第三号保護観察の対象者が更生し、再犯のおそれがなくなった。刑務所で習得した製靴技術を生かし、製靴販売業を営み社会の一翼を担っている。社会の落し物をひとつ拾うことができた。」
保護観察所では保護司の報告を聞いて安堵するとともに指示内容を伝えた。
「無期の保護観察は恩赦がない限り永久に続く。社会に確実に定着できるよう、更なる監督指導及び援護を行われたい。」