選外佳作「消しゴム 奈津芽」

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2017.06.15

第27回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「消しゴム 奈津芽」

幼稚園の年長組だった私は、小学生の姉からとびっきりの情報をもらった。消しゴムに好きな男子の名前を書いて、誰にも気づかれずに使い切ったら両想いになれる! と。
私は姉が不在のときを狙い、母に消しゴムを買ってくれるようにねだった。母はしぶった。「すでに二つ、かわいいのを持っているでしょ? 黄色いヒヨコと赤いリンゴの」
それではダメなのだ。小さすぎて男子の名前を書ききれない。
りゅうのすけ カルヴァーリョ サパテーロ むしゃのこうじ。
幼稚園では日頃『むしゃのこうじ りゅうのすけ』で通っているが、幼稚園の先生によれば、正式にはポルトガル人の母親が持つ二つの苗字も加わるのだという。私はどうしても『正式』名を書きたかった。
りゅうのすけと同じクラスになったことも、話したこともなかったが、好きで好きでたまらなかった。浅黒い肌に黒い髪。茶色い瞳。五歳にして雰囲気のある端整な顔立ち。当然モテた。モテて流血事件まで起きた。二人の女子が勝手に恋人の座をかけて取っ組み合い、救急車で運ばれる騒ぎになった。大人はその子たちを「幼女」ならぬ「妖女」と呼んだ。
でも、「妖女」なら、実は園内にウヨウヨいた。りゅうのすけに触ったり、抱きついたりするのは序の口。不意をついて頬や額、時にくちびるにキスするのは大関級。横綱ともなると、園庭の土管のような遊具の中でりゅうのすけを押し倒して「抱いて」と迫った。怯えたりゅうのすけが大泣きして事件が発覚。園長に叱られた妖女は、家で親がしていることを真似ただけだと口をとがらせたという。
ライバルは数えきれないのに、私にはモテモテ男子の気持ちを引けるものが何もなかった。消しゴムにすがるしかなかった。
母を拝み倒し、ついに白くて大きな長方形の消しゴムを買ってもらった。私は消しゴムの白い肌に赤いボールペンで名前を書いた。字が擦れて消えないように、そっと紙製ケースにもどし、その日から消しゴムをすり減らすことに情熱を傾けた。
消しゴムが半分くらいになった頃、幼なじみ男子の誕生会に紅一点で呼ばれ、そこにりゅうのすけがいた。消しゴムの魔法が効いたと有頂天になったが、ドキドキしすぎて気分が悪くなった。ひとり別室で横になっているうちに誕生会はあっけなく終わってしまった。
帰り際に、ある男子がりゅうのすけを指さし、「こいつのポルトガルのバアちゃん、すっごくヘンなんだぜ。スカートを七枚もはいているんだってさ」と言い出した。他の男子たちがいっせいに素っ頓狂な声を出した。りゅうのすけは顔を赤らめてうつむいた。誕生日男子の母親が「りゅうのすけ君のおじいちゃんは猟師さんなのよ」と割って入った。
「ポルトガルのナザレという町では、漁師の奥さんたちがスカートを七枚はくんですって。七は、七つの海、七つの波のこと。魚を捕りにいった夫や息子が七つの海、七つの波をこえて、無事に帰ってきますようにって。そういう祈りがスカートにこめられているの。おばあちゃんはおじいちゃんが大好きだから、スカートを七枚はいているのよね?」
りゅうのすけは笑顔でうなずいた。
その後しばらくして、りゅうのすけ一家がポルトガルに移住するという話が広まった。ナザレでホテルを経営するということだったが、大人たちは別の理由も勘繰った。息子を日本の妖女たちから守るためではないかと。
私はりゅうのすけに一世一代の猛アピールをすることに決めた。陰でチマチマと消しゴムをすり減らしているだけでは女がすたる!
私はスカートを七枚重ねてはいて、りゅうのすけの家に走った。玄関のチャイムを押して、インターホンから聞こえた母親の声に、「りゅうのすけくんお願いします」と頼んだ。ドアが開いて、りゅうのすけが出てきた。
私は、一番上にはいているファスナーの閉まりきっていない、お気に入りのピンクのスカートを左手でめくり、右手でパラパラと残り六枚のスカートを見せた。「帰ってきてね!」
そして、すぐさま走って逃げた。
りゅうのすけが移住してからも消しゴムは使い続けた。ちびて用をなさなくなったカケラは、いつのまにかどこかにいってしまった。
奇跡は起こらなかった。
……そう思っていたが、大学一年の夏のある日、突然りゅうのすけが私の前に現れた。「きみが、あの東三条さくらちゃん?」
りゅうのすけは、留学のために来日し、かつてスカートを七枚はいて告白した女の子がどうしているのか知りたくて会いにきたという。舞い上がった私は、二人が結婚して男の子が生まれたら? と夢想してしまった。その子の苗字は、ひがしさんじょう カルヴァーリョ サパテーロ むしゃのこうじ。ファーストネームが加わると……。その子に恋する幼女は特大サイズの消しゴムを探すのかな?