佳作「芸術の痛み 小笠原ユウイチ」

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2017.09.06

第30回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「芸術の痛み 小笠原ユウイチ」

後頭部に衝撃を受けると、脳の奥に一瞬火花が飛んだ。

体が前のめりに倒れていく感覚とともに、視界は暗くなっていく。頭が床に叩きつけられ、闇の中に再び火花が煌めいた。それは私が今まで見たもので、一番美しかった。

目が醒めると、体に鈍痛が走った。見渡せば、いつもと変わらぬつまらない私の部屋だった。昨日のことを思い出そうと、瞼を閉じ記憶をたどった。しかし、そこから浮かび上がってくるものは、美しい火花の残像のみだった。火花の美しさを思い出すと、他のことはどうでもよくなっていた。私は、部屋の真ん中に佇む書きかけの風景画を破り捨てた。

私は新たな絵を描き始めた。

瞼を閉じると、そこには火花があった。私はその火花の形を掴むように丁寧に輪郭をなぞっていった。

気がつくと、二つの火花が現れた。一方は瞼の裏に、もう一方は紙の上に。私は、数回瞬きをし、二つの火花の同一化を図った。

どのくらい時間が経ったであろうか、気がつけば二つの火花は完全に一つとなった。私の体は疲労を思い出し、床に吸い込まれるように眠りについた。

「おい、いるのはわかってんだよぉ。おとなしく開けやがれ」
耳障りな歪んだ声が、私を起こした。

ドアの鍵を開けると、大男が乱暴にドアを開いた。男は私の顔を見るとチッと舌打ちをし、暴力的な顔面で私の顔を覗き込み、云った。

「金は用意してあるんだろうな」
「あと一日だ、あと一日だけ待ってくれ。最高傑作ができたんだ、これを売れば数万にはなる」
「てめぇ本当だろうな」
「あぁ、信じてくれ」

私の声は震えていた。男は怪訝な視線を私に向けた。
「明日払わなかったら、マジで殺すからな。次は本気だ、前みたいにぬるいパンチじゃ済まさねえぞ」

男はそう云うと、扉の向こう側へ消えていった。私はキャンバスに描かれた火花を見つめた。そして、それがあの男によってもたらされたものだと思い出した。

私は作品を抱え、急いで美術商の元へと向かった。扉を開くと、馴染みの美術商のおじさんの人の良さそうな顔が現れた。

「いらっしゃい……って、またアンタかい。アンタの作品はもう十分だよ」
おじさんの顔は一度、険しくなった。

「そう言わないでくれよ、最高傑作なんだ。見るだけでいいんだ、お眼鏡にかなわなきゃ帰るさ」
絵を渡すと、おじさんは「ほう」と一言漏らし、目を細めた。細めた目はみるみる大きくなり、怪物を見るような目で私を見た。

「これは本当に、アンタが描いたのか」
「あぁ」
「信じられん……」
おじさんは再び、絵に視線を落とした。
「いくらだ」

その科白を云ったのは私ではなく、おじさんであった。絵の値を尋ねられるのは初めてのことだった。

私は想像以上に貰えた絵の代金を、自宅の机の上に置いた。私はその中から数枚お札を抜き出し、豪勢な夕食をとった。少し落ち着くと、私は瞼を閉じた。

火花は消えていた。

私は焦った。頭を壁にぶつけ、自分の顔を殴ってみた。しかし、ただ痛みが走るだけで一向に火花は現れなかった。

翌日、あの男が私の家にやってきた。
「おう、金はできたか」
私は頭の中に浮かんだ「はい」の二文字を飲み込んだ。

「すまない、まだなんだ」
私の言葉に男は激高した。
「『すまない』じゃねぇ、マジで殺すからなお前」

私は目をつむり、男の拳を待った。数秒も待たないうちに、脳に衝撃と焼けつくような痛みが襲った。その瞬間、また火花が現れた。

男は更に私を殴った。私の意識が遠のくにつれ、火花は大きく美しくなっていった。
描かねば……
私の心の中は一つの思いに支配されていた。しかし、男は殴打を止めなかった。火花は更に大きくなっていく。いよいよ臨界点を超え、火花は弾けた。

闇夜に花火が上がった。
私はその美しさを忘れぬように、閉じた瞳で見つめ続けた。
目が覚めたら、こいつを描いてやろう。
目が覚めたら……