阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「月とベーブ・ルース」えもとえい

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2017.11.07

第32回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「月とベーブ・ルース」えもとえい

夕方、南海本線堺駅前のロータリーでヤッスンを探していると、ピンクのヴィッツに声を掛けられた。「マサやん、待ったー」金髪ツンツン頭のいかついドライバーが笑って俺に手を振ってくる。やかましいわ。林家ペー・パー子みたいな車に乗りやがって。

「すまんな。レンタカー屋がこれしかあらへんて言いよんねん」
「アホ! そやったら他行けや! にしても、ようお前みたいなスカタンが免許取れたな。学科で落ちる思うとったわ」文句をたれながらも、俺は車内に乗り込む。

ヤッスン――安井高道は中学からの友人だ。別々の高校に進んでからも、腐れ縁は切れずにいる。電話があったのは卒業式の夜。日曜、久々に会わへんかって聞かれて、ちょっと迷ったけど、会うことにした。

俺が「で、どこ行くねん」て聞くとヤッスンは「南港や」とニヤニヤ笑った。「降りるわ」「降ろさへんで」「なんで南港やねん」「そりゃ、マサやんからかうつもりやからや。なんやったら曲かけよか」「やめろや」とバカなやり取り。

俺の名前は植田雅紀。そう、『悲しい色やね』の歌手と漢字違いの同姓同名。大阪港を舞台にしたあの歌のせいで俺はよくからかわれた。小学生の頃、大阪ベイブルース歌ってやとはしゃぐ調子のりを片っ端からぶちのめしてたら、いつの間にやら喧嘩が強くなってた。中学の時にからんできたのがヤッスン。ぶん殴ったら逆にノックアウトされた。悔しかったんで、地元のボクシングジムに入会。見事にリベンジは成功。そしたら、ヤッスンが翌日同じジムの門を叩いた。で、喧嘩を繰り返してる内に、おもろい奴やとわかって今にいたる。

「マサやん、俺な、あの曲の歌詞な。ずっと大阪ベーブ・ルースやと思っててん」

唐突なあるあるネタに「アホ、お前だけちゃう。俺もや」と返すと、ベーブ・ルースかっこええなと、しみじみと呟かれた。なんでも、難病の少年にホームランを打つって約束して実行してみせるのがスゴいらしい。打てんかったらかっこ悪いやんな――と急に力なく笑うものだから、「なんや、お前自信ないんか?」と俺は心配になって聞いた。返事はなかった。それからは、目的地に着くまでどちらも黙ったままだった。

車を止めて、桟橋のベンチに腰掛ける。もうすっかり日が暮れていて、海面に浮かぶ月がゆらゆら揺れている。高校の時、失恋した夜と同じ景色。俺とヤッスン、二人同時にジムのオーナーの娘にここで告白し、揃ってふられた。

「マサやんはホンマに受けへんの?」

不意にヤッスンが俺に問いかけてきた。俺はちょっとの間、押し黙ってから答える。

「受けへん。俺、プロに向いてへんから」 明日、ボクシングのプロテストが開催される。俺が見た感じでは肉体面ではヤッスンの仕上がり具合は上々。ただ、精神面で不安を抱えているようだ。

「俺のことは気にすんな。ヤッスンはプロに向いとる。頑張ってこいや」
「マサやんこそプロになったら絶対ベルト獲れる思っとったんやけどな。残念や」

うなだれるヤッスンに俺は努めて明るい声で言った。

「ボケ! 試合で勝ち譲る奴はボクサー失格や! って叫んで俺をどつきまわしたんは誰や。忘れたとは言わせへんで」

高校の夏、地区大会予選で俺はヤッスンと当たった。奴が大会に全力をかけているのを知っていた。もちろん俺だって勝つ気でいた。だが、一発いいのをくらってダウンした時、魔がさした。このまま立たんでもええんちゃうかと思ったのだ。試合後、俺の行動はバレていて、激怒したヤッスンにボコボコにされた。で、俺はボクシングをやめた。

俺は海面に揺れる月を見る。手を伸ばせば届きそうな距離。しかし、月は絶対に掴めない。俺にとってプロボクサーはそんな夢になってしまった。だが、ヤッスンは違う。明日プロボクサーになるための切符を掴みにいく。そして、俺は奴がそれを確かに手にすると信じている。

「誓えよ。ベーブ・ルースみたいにさ。かっこいいところ俺に見せてくれや」

ヤッスンは顔を上げた。笑っている。もう迷いはない。

「絶対にマサやんにベルト見せびらかしたるわ。そんでな、三階級制覇してみせたる」

なんや、もう自分だけの行き先入りの切符をちゃんと手にしてるやないか。月にまで行けそうな切符や。俺は自分が行きたい場所がわからへん。どこまで行ける力があるかもわからへん。でもな、迷い続けてるわけにもいかへんな。

負けへんで、ヤッスン。俺もお前にかっこいいところ見せたるって約束するわ。