阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「ポケットの穴」吉田桐

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2018.06.08

第39回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「ポケットの穴」吉田桐

私の勤めている図書館は市立図書館の分館で、公民館や児童館と同じ建物の中にある。図書館というより、小学校の図書室の方がイメージが近く、勤務しているのは私1人。

地域の憩いの場として長年親しまれていて、顔なじみの利用者も多い。

 

小中学校の冬休みも終わった頃、見慣れない男の子がやってくるようになった。友達と遊ぶ様子はなく、いつも一人で本を眺めたり、館内を歩き回ったり。そして、夕方5時のチャイムが鳴ると帰っていく。その男の子を気にしているうちに、いつも同じズボンをはいている事に気づいた。そのズボンの後ろのポケットには穴が空いている。トレーナーは少しヨレていて毛玉が目立つ。まだ小学生にならないような年齢の子が、一人で来て一人で帰って行く。ふと、最近新聞で読んだ幼児虐待の記事が頭をかすめた。

 

翌日も男の子は同じようにやってきて、同じように過ごしていた。そして、5時のチャイムが鳴ると、いつものように帰ろうとした。

「あれ? ポケット、穴あいてるよ?」

私は、気になっていた事を投げかけてみた。男の子は、ポケットの穴に手を当てると、何も言わずに走って行ってしまった。

「今の子、深田さんとこのお孫さんだよね?」

常連の中島さんが、男の子を見て言った。

中島さんの話によると、男の子の名前は深田きいち君。十日ほど前、隣の市で車と自転車の接触事故があった。自転車に乗っていたのがきいち君の母親で、肋骨と足を骨折して入院中なのだという。きいち君は幼稚園児。2歳の妹がいる。二人は、父親の仕事が終わる時間まで、父親方の祖母の家に預けられているのだが、妹がまだ小さいので、おばあさんは妹の世話だけで手いっぱいの状態だそうだ。母親が交通事故に遭い入院中。家族も大変なのは容易に想像がつく。ポケットの穴なんて所まで気も回らないのは当然かもしれない。可哀そうな事を言ってしまった…。虐待を疑った事も、ポケットの穴を指摘した事も、男の子に申し訳ない気持ちがした。

 

「そのズボンお気に入りなんだね」

翌日、私はきいち君に言ってみた。

「ママが誕生日に選んでくれたやつ。」

「でも、ポケット穴が空いちゃってるね。縫ってあげようか?」

「ママがぬってくれるもん。恐竜のかっこいいやつつけてくれるって…約束したもん。」

きいち君は、ポケットの穴をぎゅっと握り、下を向いてしまった。

「ママ…ママ…。ママに会いたい…。」

握った手にさらに力が入るのが分かった。

「ママのお見舞いには行ってないの?」

「子どもはダメって…。」

きいち君はうつむいたまま首を振った。

最近の病院は、面会に制限がある所も多い。冬は、特に感染症対策で厳しくなるらしい。病院や入院患者にとっては必要な対策だろうけれど…きいち君は、まだ幼稚園児だ。私の息子が幼稚園児の頃、毎朝、「ママと離れたくない」と大泣きしていたのを思い出した。

「きいち君、つる、おろうか?」

私は、机の引き出しから折紙を出した。

「つる?」

「そう。ママが早く元気になりますように。ってお願いしながら折るの。お守りみたいなものよ。それをママに届けてもらおうよ。」

きいち君の前で、鶴を折ってみせた。

折り方をすぐに覚えたきいち君は、それから毎日、鶴を折るようになった。

手先が器用な子で、日に日にきれいな鶴を折れるようになった。そして、出来上がった鶴は、穴の開いたポケットにそっと入れて持ち帰って行った。

 

一か月ほど過ぎた頃、きいち君の姿を見かけなくなった。吉田さんから、きいち君の母親が退院したらしいという話を聞いた。

 

やっと春の気配が感じられるようになった三月の始め、久しぶりにきいち君がやってきた。

きちんと洗濯されたシャツに、いつものズボン。そして、隣には松葉杖の女性。

「ママ、元気になってきたよ。もう少しでこれもいらなくなるんだよ。」

きいち君がぴょんぴょん跳ねながら、松葉杖を指した。それから、きいち君は、本を持ってきたり、折紙を折ったりして、図書館で過ごしてきた様子を得意気に母親に話した。そうしているうちに、5時のチャイムが鳴った。

「今日は、ママと一緒に帰れるね。」

「うん。」

母親を気遣いながらも、踊るような足取りのきいち君を、ほっとした気持ちで見送った。

きいち君のズボンのポケットには、恐竜のアップリケがついていた。