阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「畑の青年」斎藤祐輝

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2018.07.09

第40回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「畑の青年」斎藤祐輝

玄関の前で、俺はかれこれ十五分以上、呼び鈴を押すか否か迷っていた。十年前のちょうどこの時期、お盆以来、実家には帰っていなかった。

別に仕事が忙しかったからとか、休日は彼女と会っていたからという理由ではない。ただ、なんとなく、タイミングを逃してしまったのである。

実家にいた頃から、俺は両親とはほとんど会話をしなかった。

これといった趣味を持たず、テレビもほとんど観ない父親とは話のネタがなく、母親とは五分以上話していると、必ず喧嘩になる。勉強のことでも交友関係のことでも、いちいち根掘り葉掘り訊いてくる彼女のことが、鬱陶しかった。

どちらとも、仲が悪いわけじゃない。だからこそ、会わない期間が長くなると、自然と疎遠になる。親子の絆は薄れていく。

俺の部屋はまだ残っているのかな。

二人のこと、なんて呼んでいたっけ。

これなら、新規の顧客に会うときの方が、よっぽど気が楽だ。

引き返すなら今しかない。

だが、こんな暑い時期に、遠いところからわざわざやってきたのだ。今さら逃げ帰るのも大人げない。

雑草が生い茂った庭にまわる。蔦の絡まった網戸の奥に目を凝らし、家の中を覗いた。

座椅子に背中を預けた父親が、ぼんやりとテレビを眺めていた。

めったにテレビを点けない父親が、真昼間から高校野球を観ている。

はじめはその変化に驚いたが、すぐに気がついた。年齢的にもう定年退職を迎えているはずだ。無趣味なのは相変わらずで、他にやることがないのだろう。快音とともに観客席へ吸い込まれるボールを追う目にも光が宿っていない。テーブルの隅に置いた饅頭にも湯呑みのお茶にも手をつけていないようだった。

浅黒い肌のあちこちに細かく刻まれた皺は、微動だにしない。まるで生きたカカシだ。こんな毎日を、一体どれだけ送ってきたのか。

「あなた、そろそろお昼にしましょ」

居間とつながったキッチンから、冷やし中華をお盆に乗せた母親がやってきた。

還暦を過ぎても相変わらず髪は真っ黒に染めていた。身だしなみなのか若づくりなのかは知らないが、これがまた似合っていない。

「さっきスーパーで鶏肉が安かったからね。茹ででほぐして、チャーシューの代わりに入れたのよ。あ、冷やし中華のタレ買うの忘れちゃったから、醤油と酢とごま油と水を適当に混ぜたのかけたから。味薄かったら適当に自分でかけてね。そうそう、スーパーでパートの頃の上司に会ってね……」

冷やし中華をテーブルに置きながら、父親そっちのけで、勝手に一人でぺらぺらとしゃべっている。この辺も変わっていない。カラスのようにカァカァとやかましく、十年ぶりに耳にしても耳障りだ。頭の内側にじんじんと響く、低く大きな声。俺はこの声が嫌いだ。

そもそもなぜ鶏肉を入れたのか。いや、ささみやむね肉であればまだわかる。余計な脂肪のついたもも肉を大ざっぱに切って、適当に放り込んだだけなので、冷やし中華のさっぱり感が台無しだ。あぁ、イライラする。

父親はテーブルに向き直り、無言で箸をとる。麺を二、三本つまみ、ちゅるちゅるとすする。それを延々と繰り返す。その間、母親はずっと一人で話し続けている。

カカシの腕に乗ったカラス。この夫婦を例えるなら、そんなところだろうか。

ならば、俺は?

関係は二人で完結している。俺が入り込む余地がないほどに。この人たちに、そもそも俺は必要なのだろうか?

「……忘れてるぞ、それ」

麺だけを半分ほど胃に収めた父親が、畳に置いてあるお盆を指差した。

載っているのは、お猪口より一回り大きなガラス製の器。一口サイズの、ミニチュアのような冷やし中華だった。

あらやだ! と母親は、親指と人差し指でミニ冷やし中華をつかみ、観音開きになっている真っ黒な箱の中段板に置いた。

鈴を二回鳴らし、正座で手を合わせる。

仏壇の遺影には、スーツ姿の、無愛想な青年が映っていた。

俺だ。

「もう今年も、帰ってきてる頃かねぇ」

俺は嘆息し、庭から居間に移動する。

「十年ぶりだっつうの、母さん」

「あなた、今何か言った?」

「いいや?」

カカシに見守られ、カラスにつつかれ、俺はこの家で育ってきた。

十年ぶりの帰省でも、特別仲が良くなくても、その事実は変わらない。