阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「向こう岸」入月景史

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2018.09.07

第42回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「向こう岸」入月景史

例年になく猛暑に見舞われた秋の彼岸のこと、私は丈母の墓参りのため妻と共に蒸しに蒸された霊園の中へ足を踏み入れた。時期が時期なだけに園内にはやたらと人の数が多く、その人いきれによってこの暑さが更に過酷なものになっていきそうな予感がムンムンにしたので、丈母には申し訳ないがさっさと供養やら掃除やらを済ませて早めに帰宅しようと俯き加減に早足に歩いていると、突然妻が「え?」と素っ頓狂な声を上げて立ち止まった。何事かと思い妻の顔を覗き込んでみると、妻は口を半開きにして前方を一点に見つめており、その視線を辿ってみると一人の男が丈母の墓前に佇んでいるのが目に入った。男は少しばかり頭を下げていて、どうやら合掌をしているらしかった。

「ねえ誰か来てる……」

後ろ姿なのではっきりしたことは分からないが私もその姿には見覚えがなく、また一人で丈母の墓参りに来るような人間など思い当たらなかったので、どうも不可解というよりは不気味な、何か大きな隔たりのある別世界の住民を見つけてしまったような感覚に私は包まれた。しかし、だからといってここで立ち止まっている訳にもいかなかったので、私は妻に率先する形で男の元へ向かうことにした。

「……どうも、こんにちは」固まったように佇む男にそう声を掛けると、男はハッと我に返ったように頭を上げ、くるりとこちらを振り向いた。その男の顔にはやはり見覚えがなかった。妻は怯えたように私に身を寄せ、私はその肩にそっと手を置いた。「……あの、失礼ですがどちら様で?」控えめにそう聞くと、男は訝しげに丈母の墓石と私達とを交互に見やった。まるであなた方こそ誰ですかと言わんばかりに。不本意ではあったが簡単に自己紹介すると、男は急に表情を引き締め「そうですか」と呟き、こちらへ向き直って深々と頭を下げた。

「初めまして、山本貴明と申します」

その名前にもまるで聞き覚えはなかった。念のため妻に(知ってるか?)と目で尋ねてみたが、妻は当然のようにかぶりを振り、自称山本を訝しげに見つめながら「……あの、母とはどういった関係だったのでしょうか?」と尋ねた。すると山本は「いえ、何の関係もありません。強いて言うなら同じ時代に生まれたということだけでしょうか」とどこか恥ずかしげな微笑を浮かべた。暑さで頭がやられているのか、それともふざけているのか、何にせよまともな人間ではなさそうだったので、一刻も早くこの場から立ち去ってもらおうと、「失礼ですが」と声を掛けて詰め寄ろうとすると突然丈母の墓石の後ろから何とも汚らしい男が姿を現した。

「駄目だ、暑すぎる」

出てきた男はそう呟くなり着用していたよれよれの染みだらけTシャツを勢いよく脱ぎ「もう九月だってのになんでこんなに暑いんだ。これが温暖化の影響ってやつか」と独りごち、周りを軽く見回すと脱いだばかりのTシャツを丈母の墓石へ投げ掛けた。

「おい、何してる!」あまりに常識外れな行動に思わずそう叫ぶと、男はまるで品定めでもするかのように私を見やり、呆れたように鼻で笑った。

「……お前のほうこそ何をしてるんだ?」

「……何だと?」

「夫婦揃って墓参りか? 全く……そんな暇があるなら子作りでもしたらどうだ?」

「一体何を言っている? 今すぐここを立ち去るんだ。ほら、お前も」

汚い男と山本を順番に睨み付けると、山本はまるで私の言葉が戯言だと言わんばかりに微かな苦笑を漏らし、一方汚い男のほうは聞いているのかいないのかよく分からない様子で、どうやらこの二人を自力でどうにかするのは骨が折れそうだと憂慮した私は、「警察だ」となるべく声量を抑えて妻へ言った。するとその言葉自体が効力を発揮したのか、汚い男は墓石に掛けたTシャツを手に取り、いかにも気だるそうにそれを着用した。

「こんな殺人的な猛暑じゃ昼飯は冷やし中華だな。おい、お前も来るか?」

汚い男は出し抜けにそう言うと鋭い視線を山本へ投げ掛けた。すると山本は少しばかり思案げな表情を浮かべ、しかし汚い男が返事を待たずに歩き出したのを視認すると「いいでしょう、食事制限中ですが今だけは忘れます」と元気よく発声して男の後を追った。

「一体何なんだ……あいつらは」

「……ねぇ、あなた。私達も昼食は冷やし中華にしましょうか?」

唐突にそんな提案をされ、私は一瞬妻ではない別の人間に話し掛けられてしまったような錯覚に囚われた。奇妙な恐怖感に包まれながら妻の顔を覗き込むと、妻は「いいえ、ごめんなさい」と呟き、いかにもばつが悪そうに顔を背けた。