阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「逆行」井栗ゆうき

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2018.12.07

第45回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「逆行」井栗ゆうき

季節ごとのイラストが描かれた卓上カレンダー。右下のウサギは、進むことのない暦を不思議そうに眺めるかのように、右上に描かれた満月を見上げている。

娘が自殺したのは私の誕生日の翌日、九月一日だった。

娘が小学校三年生の時に離婚してから、女手一つで娘を育て上げてきた。しつけに関してはすこし厳しすぎるかもしれないという自覚はあったが、娘の将来を思っての行為だったし、娘も反抗することなく受け入れてくれていたように思う。門限は必ず守らせるし、服装も華美なものは許さない。近所の方からは祥子ちゃんはいつも礼儀正しくてえらいわね。と評判だった。

あまり自己主張をしない子だったが、一度だけ、将来の夢について話したことがあった。

「ねぇ、ママ。私大きくなったら翻訳家になりたいな。」

たしかに英語の成績は良かった、しかしそれも人並み、といった程度である。堅実な職業についてもらいたかった私は深く考えることなく否定した。

「翻訳家ねぇ。それって食べていくの大変じゃないのかしら。それより、公務員がいいと思うわ、安定しているし。ね、そうしなさい。」

食器を洗っている途中だった。スポンジがもう古くなってきた。新しいものを買いに行かなければ。ついでに洗剤も買っておこう。次の割引デーはいつだっただろうか。

「うん、そうする」

顔を上げると祥子はもういなかった。

受験も就職活動も思うように進まず、第二希望、といったところに落ち着いたが、どちらも世間的な評価はまずまずのところだったので一安心した。あとは結婚してもらって孫の顔を・・・

そう考えていた矢先、祥子が亡くなったという連絡が入った。

呆然としたまま手続きをすべて一人でこなした。同情して声をかけてくれる遠い親戚には、大丈夫です、と気丈にふるまい続けた。

自分でも何が大丈夫なのかわからなかったが、誰かに慰められるのは今の私にとってはなんの意味もなさないと思った。あらかたの雑事を終え、一人暮らしをしていた彼女の部屋を整理している際、遺書、と描かれた手紙と中学生の時から書き続けている日記を見つけた。

ママへ
こんなことになってしまって本当にごめんなさい。最後までママのことを考えて何度も思い止まろうと思ったんだけど、やっぱり私にはこれ以上生きる力が湧いてきませんでした。途中からパパがいなくなって、ママが一生懸命働いて私を育ててくれたこと、本当に感謝しています。だた、私のためを思って厳しくしてくれているのだとわかってはいても、それに応えるのがすこし苦しかったです。ママに喜んでもらいたい一心で就活も婚活も頑張ってはみたんだけど、あんまりうまくいきませんでした。孫の顔を見せてあげられなくてごめんね。私がいるとすこし苦しそうだったママにとっては、悩みの種がなくなってほっとしているのかもしれません。これからは、ママがやりたいことをたくさんして、楽しい毎日を送ってください。ママの幸福を心から祈っています。
祥子

日記には日々の苦しみが綴られていた。学校の友達とうまく行かない。勉強が思うようにすすまない。仕事へ行きたくない。生きるのが辛い。一緒に暮らしていて全く気がつかなかった。弱音を吐いているところを見たところがなく、なんでもそつなくこなく器用な子供だと思っていた。心の交流がない日々は彼女にとってどんなに孤独だったのだろう。私の子育ては間違っていたのだろうか。わたしから解放されて、いま娘は幸せなのだろうか。

カレンダーを前月に戻しながら、一日一ページずつ彼女の日記を遡って行く。娘の心の叫びを読み続けるのは苦しかったが、向き合いたいという気持ちが強かった。償いになんてならないかもしれないが、彼女が必死に生きた足跡を見届けてやりたいと思った。

すべて読み終わってから、自分がどのような心境になるのか見当もつかない。消えてしまいたいと思うのだろうか。それとも、彼女が願ってくれたように、楽しく毎日を送ろうとするのだろうか。

季節は夏から秋に移ろいゆく。

それに逆行するように、彼女が残していった暦は夏から春へと季節を遡る。