阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「修羅の国」齊藤想

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2019.04.09

第49回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「修羅の国」齊藤想

国堺の長いトンネルを抜けると、修羅場であった。夜の底が白くなった。信号所には猛獣が溢れ、汽車から降りてくる戦士たちを待ち構えていた。

向側の座席に座っていた相棒が立ち上がり、島村の前の強化ガラスをあげた。猛獣の唸り声が夜の闇に響く。
この国の猛獣は夜行性らしい。雪の大地が夜のとばりに包まれても、活動をやめる気配がない。鳴りやまない唸り声と獣の匂いが、ここが修羅場であることを思い出させる。

「ヤツらまでの距離はどの程度だろうか」

葉子が薄ら笑いを浮かべる。

「そんなこともわからぬとは、島村も耄碌したものだ」

葉子の声は悲しいほど美しかった。その氷のような声に誘われたかのように、猛獣どもの唸り声が一気に高まる。

「近いわね」

葉子は背中に抱えていたマスケット銃を構えた。視線と銃身と腕が一直線になる。

「キマイラまで残り五秒」

葉子は猛獣までの間隔を、距離ではなく時間で測る。少し間があって銃声が聞こえる。屠場のような悲鳴と、何かが押しつぶされたような音がした。葉子は素早く次の弾丸を込める。

「ゲーリュオーンまで三秒」

言い終わるや否や、再び銃身が火を噴く。

「足元にエキドナ」

胴体が蛇の美女が乗降口から侵入しようとしている。島村は接近戦用の長刀を振り下ろし、美しき首を切り落とす。

この調子では、いくら命があっても足りない。いつかは猛獣にやられてしまう。島村は車掌に伝声管に怒鳴った。

「何をしている。もっと石炭をくべろ。速度を上げないか!」

伝声管を通じて、車掌の声が返ってくる。

「これが限界です!」

「目的地の温泉まで千三百十二秒」

島村は「あと二十二分か」と心の中で換算する。

「島村、あいつをなんとかしろ」

葉子は百もの頭をもつ竜を指さした。ラードーンだ。葉子は近づく敵を銃で撃ち崩しているが、百の首まで手が回りそうにない。

島村は運転席に移動すると、スコップで燃え盛る石炭を掬って大地に投げつけた。雪から顔を出している枯草に火が付き、雪の表面を這うようにして炎が広がっていく。一瞬、ラードーンがひるんだ。その様子を見て、島村は一転して石炭を炉にくべて汽車の速度を上げる。ラードーンは置き去りになった。

客席に戻った島村を葉子は出迎えた。

「なかなかやるじゃないか。だが、この先も怪物は待ち換えているから油断するなよ」

「わかっている」

そう答えながらも、島村は釈然としない思いを抱き続けていた。

「それにしても、なぜ、おれたちはこんな世界に放り込まれたのだ。鄙びた温泉に入りたかっただけなのに」

猛獣を遠ざけた葉子は美しい声で答える。

「小説とは、進化するものである」

氷のような声が、銃声でかき消される。マスケット銃は散弾も放つことができる。洋子の一撃で、人知れず接近していたスキュラは粉砕された。

「小説とは低俗な読み物として誕生し、いつしか芸術作品扱いされ、再び低俗なエンターテイメントに回帰しようとしている。小説という定義が揺らぐたびにジャンルは拡散し、混迷の度を増していく」

「それが、なんだというのか」

「小説とは楽しむもの。しかし、その楽しさはひとそれぞれ。だからこそ、面白い」

そのとき、何かが頭の上を横切った。その何かは壁をけり、葉子に向かって牙をむく。

島村は長刀を振り下ろす。何かは身体をひねって交す。怪物は音もなく着地した。

双頭の犬が、よだれを垂らしながら二人を睨みつける。

「オルトロスだ」

葉子が冷静に分析しながら、会話を続ける。

「小説とは何のために書くのか。何のために読まれるのか。この世から無くなったとしても、だれも困らないのに」

弾を込める余裕のない葉子は、銃をひっくり返すと、台座を振り回した。葉子を守らなくてはらない。島村は決心した。オルトロスは飢えているようだ。牙の隙間からたれる涎が止まらない。

「いくら小説だからといって、このストーリーはない。ゆきすぎではないのか」

「冒頭を読んだかね。ゆきすぎではない」

葉子は悲しいほど美しい声で答えた。

「これは『雪国』だ」