阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「俯瞰」猪又琉司

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2019.06.07

第51回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「俯瞰」猪又琉司

快速電車に吸い込まれるように接近した私の腕を引いたのはキリンだった。よりによって、こんな男に自殺を止められるとは、一生の不覚である。すっかりと死ぬ気力が失せた私は、駅のベンチでうなだれた。キリンは薄ら笑いを浮かべながら私の横につっ立っていて、離れようとしない。

東京から転校してきた二宮修一が、クラスのみんなから総スカンを食らうのにさほど時間は掛からなかった。とにかく、横柄で生意気。協調性もなく、文化祭の準備も、「なんで、こんな無意味なことをする」と早々にエスケープした。勉強はすごく出来たが、授業中に先生の話を聞いている様子もない。付いたあだ名は、キリン。背が高く首も長いその容姿と、人を上から見下ろしているような態度から誰ともなく、彼をそう呼ぶようになっていた。

「お前、分かってないな。電車の投身自殺くらい迷惑な死に方ないぜ。ぐちゃぐちゃの死体片付ける作業員さんの気持ち考えたことあるか」

私は、キリンを思い切り睨みつけた。ところが、この男。熱視線でも浴びているように、得意げな表情を浮かべている。

「あと、首つりも止めろよ。糞尿まみれになって悪臭で迷惑が掛かる。それから…」

私が何も答えないのを良いことに、キリンは一方的に迷惑な死に方についてベラベラと講釈を並べる。いい加減嫌気が差して立ち上がると、私の背中にキリンが言った。

「まぁ、どうせ死ぬ気なんてなかったろうけどな」

私は、振り返った。何だか柔らかいところを踏みにじられた気がして、苦い痛みを感じた。

「本当に死ぬ気があるなら、俺についてこい。誰にも迷惑の掛からない死に方を教えてやる」

そう言うと、キリンはスタスタとホームへと歩いて行った。私は、フラフラとキリンの後を追った。

下りの快速列車に乗ると、電車はどんどんと山間に向かった。キリンは私の席から、少し離れたところに座っていた。もちろん、お互い話をすることもない。私はキリンの言う、『人に迷惑の掛からない死に方』など、したいと思わない。死ねれば何でも良かった。だから、キリンについていく必要なんてない。なのに、彼と同じ電車に乗った。なぜか。電車に揺られ窓外の風景を眺めながら、私はその理由を探していた。

キリンが降りたのは、鄙びた山岳駅だった。日も暮れかけ、人の気配はない。私は、少し距離を置きながら、キリンの後を追った。どんな理由であれ、彼が私の命を救ったことは間違いない。私はコイツに命を握られたのだ。

春の入り口に入っていたが、日が落ちるとグッと気温が下がった。キリンは、ジャングルに帰るように、森の中をズンズンと進む。暗い茂みを抜けると、視界にまっすぐ伸びた橋が見えた。橋の板が朽ちかけた吊り橋である。高さは20メートルはあろうか。川は、数日前降った雨の影響か、狂ったような速さで流れていた。キリンは橋の真ん中辺りまで行くと立ち止まり、私の方に振り返った。ほとんど見えなかったが、何となくキリンの表情が脳裏に浮かんできた。明らかに私を呼んでいる。私は、一歩、二歩、彼の元にゆっくりと近づく。四分の一ほど行ったとき、キリンはニヤリと笑うと、グラグラと橋を揺らし始めた。左足のすぐ横の板が崩れ落ちた。私は思わず、尻餅をついた。キリンは、揺れる吊り橋をものともせず、大股で近づくと私の髪の毛を掴み、橋の欄干の外に乗り出させた。

「一度、人を殺してみたかった。どうせ死ぬなら、構わないよな」

眼前の風景は歪んでいく。私の見下ろす先には、紛れもない正真正銘の死があった。私は望んでいた。願ってもないチャンスだ。この男が私を殺してくれる。自分で死ぬよりも、数倍楽ではないか。何度も、私は私に言い聞かせるだが、思いとは裏腹に目からは大粒の涙が流れた。私はひたすらに泣き、発狂するように叫んだ。

「死にたくない!」

キリンは、スーッと手を離した。私は自分の言った言葉に、自分で驚いていた。あれ程死にたいと願っていた私がどうしてこんなことを。キリンはポケットに手を突っ込み、いつも以上に鷹揚に私を見下ろした。そして、踵を返すと何事もなかったかのように去って行った。

次の日、キリンが東京から引っ越してきた理由を友人から聞かされた。彼の父親が、電車に飛び込み自殺をして亡くなったからだという。そんなことおくびにも出さず、キリンは今日も、高いところから私を見下ろしていた。