阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「ゼブ子さん」瀧なつ子

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2019.09.09

第54回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「ゼブ子さん」瀧なつ子

短い夏休みが終わってしまった。

なんだよ、三日って。こんなに短い休暇を夏休みだなんて、言って欲しくない。

大人になんかなりたくなかった。会社勤めなんて最悪だ。

夏の終わりだなんて信じられない酷暑の中を会社に向かっていたとき、僕は彼女と出会ってしまったのだ。

いつも通る住宅街の古めかしい洋館。その二階の窓から、悩ましげな彼女は空を眺めていた。

シマウマだった。

シマウマを生で見るのは、動物園以外では初めてだったが、その麗しい表情から、すぐにメスなのだとわかった。

シマウマの彼女は、ブヒン、と鼻を震わせてため息のようなものをついた。

なぜシマウマが、こんな住宅街の洋館の窓から外を眺めているのだろう。

しばし呆然とその窓を眺めていると、彼女は僕に気づいた。

僕は一瞬慌てたが、彼女は口の端を捲り上げ、平らで立派な歯を見せて微笑んだ。

愛らしかった。

その瞬間から、僕は彼女の虜になってしまった。

会社までの重い足取りも、彼女に会えると思ったら幾分軽くなる。

名前はなんというのだろうか。シマウマだから志摩子とかそんな感じか? いや、志摩子では往年の大女優みたいだ。きっともっと若々しくて軽やかな名前……、ゼブ子とかそんな感じに違いない。

ゼブ子さんはなぜ日本にいるのだろう。動物園生まれなのだろうか。もしやもの好きの好色じじいにペットとして飼われているのではあるまいか。

うん、実にありそうな話だ。あんな洋館に住んでいるんだから、金は有り余っているだろうし、血統書付きの犬や猫じゃ物足りなくなった好き者に違いない。

かわいそうなゼブ子さん。

毎日毎日切なげに空を見つめて、遠いサバンナを夢見ているのだろう。

僕は毎日洋館の前を通るたびに、ゼブ子さんを見上げた。

ゼブ子さんは決まって太いヒヅメを窓枠に引っ掛けながら、そのたくましく広い鼻の穴を空に向け、物思いにふけっていた。

けれども僕が道で立ち止まってゼブ子さんを見上げると、彼女は気がついてくれて優しく「ふがっ」と鼻息を漏らして笑いかけてくれるようになった。

僕らは、目と目で挨拶を交わすようになっていた。

ゼブ子さんに恋したからといって、僕の仕事の業績が上がったわけではない。むしろ下がった。

だって仕方ないじゃないか。ねてもさめても、ゼブ子さんのあの悩ましげで魅力的な面影が僕を掴んで離さないのだ。

ゼブ子さんの瞳はいつも潤んでいるようだった。

病気なのだろうか。僕は心配で心配で、しかたなくなってしまった。

ついに僕は、あの洋館に客として訪ねてみようと決心した。

そうして、彼女との交際を好き者じじいに申し込むのだ。

反対されるのは覚悟の上だ。

僕が、この僕がゼブ子さんをあの窓から救い出すのだ。

寝不足の重たい身体をむりやり動かして、僕は初秋の休日、例の洋館まで走っていった。

が、窓にゼブ子さんがいない。

なぜだ。

そのとき、大きな門が重々しく開いて、スーツを着た数人の男が綱に繋がれたゼブ子さんを引いて出てきた。

僕はその姿を見て驚愕した。

なんてことだ!

ゼブ子さんはシマウマじゃなかった!

クアッガだったんだ!

クアッガ。それは頭から腹部まではシマがあり、腹部から尻にかけては茶色の馬のような毛並みの、幻の絶滅動物だ!

なぜだ。クアッガは百年以上前に息絶えたはずだ。

あれか。遺伝子操作か。

男たちは、ゼブ子さんをトラックの荷台に乗せた。

そのとき、ゼブ子さんはこれまでになく切ない瞳で僕を見つめ、大粒の涙を一つ落とすと、トラックの奥に入っていった。

トラックは行ってしまった。

僕の頭上で、ゼブ子さんがいた窓が閉まる音がした。