阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「蝶の石」吉岡幸一

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2019.11.08

第56回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「蝶の石」吉岡幸一

父が川原らから石を拾ってくるようになったのは、庭の紅葉が燃えるような金色に色づきはじめたころだった。

石集めが趣味という話はこれまで聞いたことがなかったし、八十歳を過ぎるまで石を拾ってくることなんて一度もなかった。父が拾ってくる石はめずらしい石というわけでもなく、その辺に転がっているようなごくありふれた石ばかりであった。

拾ってきた石をどうするのかと思えば、床の間に並べているのだった。石は重たいからだろうが、どれも老人が片手で持てるくらいの大きさと重さのものしかなかった。それでも数がふえていけばけっこうな量になるものである。娘の私が気づいたときには床の間の床一面が石におおわれていた。

「こんなに集めて墓石にでもするつもりなの」

ゴミを持って帰られたような気持ちになった私はつい怒ってしまった。

「墓石にするのもいいかもしれないな」

私の思いつきに感心したように父は答えた。去年、心臓の病で生死をさまよったばかりなのに、父はまるで他人事のようだった。

「ただでさえ狭い家なんだから、これ以上余計な物を増やさないでほしいんだけど」

「おまえには余計な物かもしれないけど、わしにはこれは宝物のようなものなんだよ」

父は床の間から石を一個持ちあげると、ふっと息を吹きかけて愛しそうに温めた。

母は二十年前に亡くなっていた。私は去年離婚して実家に戻ってきて、いまは父と二人でこの家で暮らしていた。もうすぐ母の命日だったが、思い出話をすることも少なくなっていた。今年の命日もなんとなく過ぎていってしまいそうだった。

「わしが死んでしまえば、おまえは一人になってしまうな」

「子供もできなかったし、旦那とは別れてしまったから仕方ないわよ」

「いつか、また好きな人ができたら再婚して子供をもうけたらいいよ」

「もう結婚なんて……。一生独身でいるから」

「そうかい。さみしいな」

父はまるでもうすぐ死んでしまうような言い方をした。

「お父さんこそ、恋でもしたらどうなの。お母さんの位牌ばかり眺めていたって生き返るわけじゃないんだから」

「八十を過ぎて恋なんて、おまえも無茶を言うな」父は愉快そうに笑った。

私は本気で父に恋をしてほしいなんて思っていなかったが、川原の石なんかを集めて暇つぶしをされるよりもマシだと思っていた。

母を亡くして私が実家に戻ってくるまで父はこの家でひとり暮らしをしていた。築五十年、庭付き木造二階建ての侘びた家で、勤めていた会社の退職金と年金だけで日々を過ごしていた。近所付き合いもなく、無趣味な父には話をするような友人もいなかった。

どんなに孤独だっただろう。別れた夫との生活に苦しんでいたとはいえ、もっと頻繁に訪ねてやればよかったと、私は実家に戻ってきてから思っていた。

「石は話し相手にはならないでしょう。どう、いっそのこと犬か猫でも飼いましょうか。少しは家の中も賑やかになるんじゃないかしら」

「いや、そんなものを飼ったってわしのほうが先に死んでしまうから。残されたらおまえが大変だろう」

「わたしは平気よ。それにお父さんだって後二十年は生きるでしょう」

「あと二十年も生きたら、わしは百歳だ」

父は笑いながら言うと白髪頭をかいた。

「きっとお父さんなら百歳まで生きるわよ。食欲だって旺盛じゃない」

私がからかうように言うと、父は気にすることもなく、床の間から石を無造作につかんで突き出した。私は反射的に石を受け取るときつく握った。石は冷たくてザラザラとしていた。

「もうすぐこの石から蝶が生まれるんだよ。母さんの命日までには全部の石が蝶になって、この部屋中をふわふわ飛び回るんだ。まっ白な蝶だ。きれいだぞ」

父は石を見つめながらうっとりとしていた。

「蝶ってなに。石から蝶が生まれるわけないじゃない」

「おまえは知らないだけだ。石っていうのは蝶になるもんなんだよ」

「だけど、石は石だから……」

父は首をふった。確固とした自信があるようだった。

「川原の石のなかから白い蝶になる石を選んで拾ってきているんだ。川原にはまだまだ蝶になる石が落ちているぞ。わしはな、母さんを喜ばせるためにも、石をもっともっと拾わなければならないんだ」

そう言うと、父は立ちあがって手に軍手をはめた。そして私の声に振り返ることもなく川原に石を拾いにいった。