阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「小石の奇跡」水曜

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2019.11.08

第56回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「小石の奇跡」水曜

愛川歩はどこにでもいるごく普通の子供だった。平均的な家庭で生まれ育ち、今度入学する小学校もさして特徴もない公立校だ。

ある日、外で存分に遊んで帰る途中、少年は鼻歌混じりに道端の小石を蹴飛ばした。

特に意味があったわけではない。

本当に何となくの行為であった。

飛んで行った小石は、ぐっすり眠っていた野良猫にぶつかった。完全に無防備であった猫は、突然のことにニャーと大きな悲鳴を上げた。

大きな鳴き声に、井上勇が思わず手を止める。軒先の鉢植えに水やりをしていたホースの先が、あらぬ方を向いて道端に小さな水溜りを作る。

道が乾く前に、スピードを上げた車が通り過ぎて水が勢いよく跳ねた。近くを歩いていた内海宇美のスカートに泥水で大きな染みが出来てしまう。

仕方なく内海宇美は、着替えるために急いで自宅に戻り。自室のマンションで泥棒の江ノ島英一と鉢合わせする。

住人は不在だと油断していた江ノ島英一は、逃亡に失敗し捕まった。彼は窃盗の常習犯であり、余罪も多い。弁護人に選ばれた緒方音也は、面倒な仕事になりそうだと頭を痛めた。

緒方音也が依頼人との面会に向かう途中、すれ違った妊婦が突然蹲った。周囲には他に人気はなく。緒方音也が迅速に救急車を呼んだので、産気付いた加納香苗は何とか事なきを得た。

難産であったが、加納香苗は無事に女の子を出産した。紀美子と名付けられた赤ん坊は、すくすくと成長した。やがてシングルマザーであった母親が再婚し、木下紀美子と名前が変わる。

木下紀美子のクラスメイトである工藤久遠は、自分の苗字に感謝していた。何故なら男女別の出席番号順の関係で、木下紀美子の隣の席となれたからだ。

隣でただ日々を過ごすだけで想いは募っていく。それだけで十分幸せだった。最後まで工藤久遠は、彼女に好意を伝えることは出来ず。代わりに自分の衝動を歌にして、バンド活動を始めプロのミュージシャンになった。

工藤久遠の曲は、大ヒットした。特に若者を中心に多くの共感を呼んだ。剣持圭吾もその一人だ。落ち込んだときには、お気に入りのアルバムをずっと聴いていた。

静かだが力強いメロディを耳にしていると、何だか勇気が湧いてくる。ホームレス狩りをしている連中を目の当たりにしたとき、剣持圭吾の頭の中ではいつもの曲が流れていた。

体が自然に動いて助けに入る。

突然乱入してきた剣持圭吾の迫力は相当なものだった。佐伯悟は、ほうほうの態で逃げ出す。彼は自分より立場の弱い者を嬲って、いつもストレスを発散させていた。

だが、この日は邪魔が入ってとんだ醜態を晒してしまった。むしゃくしゃした気分のまま、猛スピードで車を走らせた。他の自動車や二輪車をあおりにあおり。ハンドル操作を誤り、佐伯悟は玉突き事故を起こして死亡した。

事故の影響で、完全に道路は封鎖。渋滞が起こり多くの者が足止めを食らう。医師の東雲静は天を見上げた。久しぶりの休暇を海外でのんびり過ごすつもりだったのだが、フライトの時間に間に合いそうもない。

案の定、空港に着いた頃には飛行機は既に飛び去っていて。結果的に東雲静は命拾いした。乗る予定だった旅客機は、海の真ん中で墜落。生存者はゼロだった。

三年後、東雲静は関根瀬奈の担当医となる。生まれつき関根瀬奈は難病を抱えていて、予断を許さぬ状況であった。ゴッドハンドの手により世界初となる手術は無事に成功し、彼女は奇跡的に回復に向かった。

九死に一生を得た関根瀬奈は、自分も人を助ける道を志す。やがて研究分野に興味を持ち、癌の特効薬の開発に成功。

おかげで多くの者が救われた。

政治家の園崎壮太は病魔から逃れ、精力的に活動した。やがて彼は総理大臣となり、抜群の外交手腕を発揮。緊張が漂う各国を上手く取り持ち、第三次世界大戦を回避した。

以来、世界は平和で豊かな時代が続いた。

科学技術は目覚ましい進歩を遂げ、人類は宇宙開発に心血を注ぐ。政界を引退した園崎壮太は、遥か遠くにそびえる完成したばかりの軌道エレベーターを感慨深く眺める。

傍らでは、幼い孫達が道端の小石を蹴って遊んでいた。