阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「石の記憶」石黒みなみ

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2019.11.08

第56回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「石の記憶」石黒みなみ

土手を走る列車の轟音が聞こえてきた。草むらに伏せて息をひそめる。夏草が強く匂う。線路に置いた石に向かって列車が迫って来る。

「脱線したらどうしよう」と心配する僕に、カっちゃんは「臆病だな。電車のほうが強いに決まってるじゃん」と言った。迫って来る列車が見えて思わず目を閉じた。大きな音と共に列車は走り去った。

「すげえ。順ちゃん、あっちのほうに飛んだよな」

見ていなかったとは言えなかった。二人で飛ばされた石を探したが、どこにも見つからなかった。

僕はいつもカっちゃんについて回っていた。裏山の崖を上って探検したり、小さな滝を滑り台のように滑って水に飛び込んだり、ちょっと怖いけれど面白いことが、カっちゃんと一緒だとできるのだった。

その年の冬、南京が陥落して盛大な提灯行列があった。僕も日の丸の小旗を振った。カっちゃんも家族で来ていた。

「順ちゃん、大人になったら兵隊さんになろうな!」

どよめきの中、提灯の明かりに輝く顔のカっちゃんの言葉に、僕は大きくうなずいた。

勉強は少し苦手だが、体も大きくて体操も得意、みんなが嫌がる作業も率先してやるカっちゃんは、先生も「立派な兵隊さんになれますね」と太鼓判だった。唱歌も実はちょっと調子はずれなのだが、大声で元気よく「兵隊さんは大好きだ」と歌うので、いい点をもらっていた。僕もつられるように一緒に歌って、ついでに褒められていた。

高等小学校を卒業し、僕は家の畑を手伝い始めた。カっちゃんは工場に就職したが、しばらく働いた後、少年飛行兵に志願した。

「お国のために戦うんだ」

順ちゃんは来ないのか、意気地なし。そういわれている気がした。もちろん、カっちゃんはそんなことは言わなかった。

「俺は三男坊だしさ。工場にいるより出世もできる。そのほうが親孝行にもなる」

そうか、とつぶやきながら、心の中で長男でよかったと思った。僕は臆病者だったのだ。たとえカっちゃんと一緒でも戦争は怖かった。赤紙がきたら仕方がないが、まだその年でもないのに、行きたくはなかった。

それから一年もしないうちに戦争が終わった。カっちゃんは戻らなかった。遺骨さえも。

まだ実戦をする年齢ではなかった。海辺の駐屯地で、訓練中に艦砲射撃にやられたのではないかということだった。

神様は人間になり、鬼畜の国は憧れになった。意気地なしの僕は米軍のジープの通り道に置き石をすることすらできなかった。人間になってしまった神様が手を振る姿に、カっちゃんを返せ、と石を投げることなどもちろんできなかった。

そのまま長生きをしたこの意気地なしは、一日テレビをつけて居眠りばかりしている。それが突然、カっちゃんが最後にいた駐屯地の名前が聞こえたのではっと目が覚めた。「水上特攻隊」と言っていた。終戦近くなって、粗末なベニヤのボートに爆薬を積み、たった一人で敵艦に向かう作戦が展開されたという。爆弾を敵艦に当てて帰ってこいという指令だが、片道だけなのは明らかだった。出撃直前で終戦を迎えて命拾いしたという証言者は、元は少年飛行兵だった。別の場所にいたのだが、夜中に突然みんなトラックに乗せられて海辺に連れてこられたのだという。もちろん移動の理由など知らされなかった。

「訓練はありましたけど、こんなもので突撃するのかと思ったら怖かったです。順番が来なくてよかった」

飛行機の桜花や人間魚雷の回天と違って長く語られなかったのは、あまりにもお粗末な作戦のせいではないかとその人は語った。

ああ、カっちゃん、君はベニヤのボートで出撃したに違いない。ひょっとするとみずから手を上げたのではないか。今なら当然のことだとわかるが、米軍のレーダーは日本よりはるかに高い水準だった。人間魚雷はまだ水中だが、こちらは水の上だ。いくら深夜に出撃しても、敵艦に何の被害を与えることもできないままに、撃沈されていたのである。

耳の奥で、あの夏の日、草むらで聞いた列車の轟音が響いた。カっちゃん、あの時の石じゃないか。列車にはね飛ばされてどこにいったかもわからない小石だ。木っ端みじんだ。

「電車のほうが強いに決まってるじゃん」

カっちゃんの声がする。画面にはボートの写真が映し出されているが、涙でぼやけて見えない。一途な人が命を落として、意気地なしがここに、老いさらばえて生きている。

「大きいじいじ、どうしたの」

そばから曾孫が袖を引っ張る。

「なんでもないよ」

幼な子の温かく柔らかな手に触れながら、意気地なしは涙を止めることができない。