阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「入口」十月

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2020.02.07

第59回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「入口」十月

海と山の合間の林道を走っていると、隣の席でぼんやり窓の外を見ていた咲が「ちょっと車止めて」と言った。

「どうした?」
「ねぇ、あれって線路かな?」
「線路? こんな何にもない所に?」

指差された方を見ると確かに林の中を這うように、レールのようなものが見える。車を止めて近づいてみると、確かにそれは線路だった。ただし、相当昔に廃線になったのだろう。レールはところどころ外され、残った部分も錆びて、草花が生え放題だ。どこか寂しさを感じたが、咲は「愛のトンネルみたい!」と、嬉しそうに写真を撮り始めた。

「愛の……何それ?」
「ロシアかウクライナだかにある、緑きらめく森の中にある線路だよ」

確かに新緑が生い茂ってはいるが、どちらかといえば鬱蒼としており、とても恋人たちを祝福しているようには見えない。だがまあ、恋人が喜んでいるなら、それでいいだろう。
咲は昔から遺跡や廃墟などが大好きなのだ。「詫び錆び」の世界なのだと言う。よくわからないが、ものは言いようである。

「日本に廃路線っていっぱいあるんだよ」
「ここは何線だったのかな?」
「知らない。ちょっと行ってみようか。駅があるかも。スタンドバイミー」
「勝手に入ると怒られるだろ!」
「誰によ。誰もいないでしょ」

ずんずんと廃線路を歩いていく咲の後を慌てて追った。よく見れば不法投棄っぽいゴミは落ちてるし、雑草も、ものすごい。今はまだしも夏になったら雑草で全て埋もれてしまうだろう。レールの上を歩いているから迷うことは無いだろうが、それでも咲が余りにどんどん先に行くので少し不安になる。そろそろ戻ろう、と声をかけようとしたところで、咲が「あーーーーっ!」と大声を上げた。

「どうした!?」
「ほら、駅が在ったよ!」
林が終わり、開けて遠くには海が見えた。そこに短いプラットホームらしきコンクリートの跡が、確かに残っている。駅舎はないが、錆びた看板が一つ残っている。
「うーん『りぐち』?」
「もう一文字ありそう。『とりぐち』?」
「靖男かい?」
「えっ?」

突然、背後で声がして咲と僕は飛び上がった。そこには背の曲がった小さな老婆が立っていた。真っ白い髪。古めかしい着物。トトロのおばあちゃんを一回り小さくしたような老婆が、目を丸くして僕を見ていた。

「靖男かい?」
「いえ……隆也ですが」

気圧されて、うっかり名乗ってしまった。
老婆は口の中でぶつぶつと何かを言ったあとで、そうかい、と少し肩を落とした。

「今日の電車はもういっちまったのかい」
「えっ? 電車?」

咲と僕は顔を見合わせる。今も電車が通っている筈がない。

「靖男さんを待っているんですか?」

老婆の目線まで体を屈めて聞くと、老婆は大きく「そうだよ」と言った。

「お勤めはとっくに終わったんだ」

僕は咲と顔を見合わせた。ここの駅が廃線になったのは、どう見てもここ数年の話ではない。十年、数十年も前のことかもしれない。

「野口さん、探しましたよ。ここにいたの」

背の高い女の人が一人、ホームの反対側から現れた。五十代くらいだろうか。僕と咲を見て、ごめんなさいね、と言った。

「驚いたでしょう。野口さんは、出征した息子さんが戻ってくるのをずっと待っていてね。戦争はとっくに終わったし、この路線もすっかり廃線になったのに」
「ここは何駅なんですか?」
「いりぐち駅です。駅が村の入口だったので、昔の村長さんがつけたんです。おばあちゃん、帰りましょうね。風が強くなる時間です」

二人は海のほうの道へと降りて行った。僕と咲は狐に摘まれた気持ちで、廃線路を通って元の林道へと戻った。

「おばあちゃん、ずっと待ってるんだね」

林道を抜けて国道へと入った所で咲がスマホを見ながらポツリと言った。

「そうだね」
「終戦前後に二十歳くらいの息子さんが居たとして……おばあちゃん、今何歳?」
「……十年前には百は超えてるかな」
「……だよね」

後に調べるとあの一帯に通っていた路線は、戦後すぐに廃線になっていた。『いりぐち』という名称の駅は見つからず、あの辺りには今も集落も老人ホームも無いという。

「あの駅、何の入口だったんだろう」

咲がぽつりと言ったけど、聞かなかったことにした。