阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「同居人」本間文袴

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2020.03.09

第60回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「同居人」本間文袴

つぼの中に何かいる。
それに気が付いたのは夜中のことで、物音が気になって台所の収納を開けたからだった。
流し台の下にある収納には昔から梅干しの壺が保管されていたが、件の壺はそれと並んで置かれていた。もともとは新しい梅干し用に家族が購入したらしいのだが、物音に気付いたときにはすでに蓋が開かなくなっていた。
初めに聞こえた音は何か小さなものが動き回る音で、咄嗟に思いついたのが台所によく出る虫の姿だったため、殺虫剤を片手に蓋を取ろうとしたがびくともしない。開けようと試行錯誤している間に音は止んだが、今度は代わりに大工工事をしているような音がし始めた。その時点で何やら様子がおかしいと感じて壺を机に置いてよく見ると、下のほうに小さく文字が彫り込まれている。

「当方貸間ニツキ、要御連絡」

虫眼鏡で見なければ読めないほどの小さな文字だった。
驚いて文字を眺めている間にも壺の中では何某かの作業が行われ、暫くたった後に静かになった。耳を近づけると小さく寝息のようなものが聞こえるので、どうやら中にいる何かは眠ったらしい。事情がよく分からなかったが起こすのも考えものだったので、その日は壺を元の場所に戻してそっとしておくことにした。
次の日の昼間に様子を窺ってみたが、物音一つしない。前日のことは夢だったのかと蓋に手をかけると、やはりぴくりとも動かなかった。思い違いではないことを喜ぶべきか、不可解な現実に悩むべきか、考えあぐねながらも壺を持ち上げると、彫り込まれた文字が増えている。

「稀ニ有ル揺レ、ご心配無用」

いつの間に書き加えられたのかは知らないが、元の文句の下に添えるようにして書かれていた。揺れとは、もしやこちらが壺を持ち上げていることを指しているのかとどきりとしたが、相手方は気にしていないようなのでよしとした。
その次の日からは、たまに壺を眺めるだけで何か手を出すわけでもなく、壺のほうも大人しかったのだが、時節柄梅干しの話題が家で頻繁にされるようになった。聞いているとやはり件の壺に新しい梅干しを漬けるようで、近いうちにも梅を仕込むらしい。
どうしたものかと壺を見ながら考えていると、以前より文字が増えている。

「酸味ノ同居、可」

こちらを見透かすかのような文句に、少し面白くなった。
何が住んでいるのかは知らないが、梅干しを漬けても平気なようで、とりあえずは一安心だった。
次に壺を見たときは机の上で梅が詰め込まれている最中で、作業をしている家族にそれとなく尋ねてみると、壺は何の抵抗もなくあっさりと開いたらしい。無論のこと中身は空で、熱湯消毒してから使ったと聞かされた。壺の文字も無くなっていたので少し心配になったが、その日の夜には新たな文句が彫り込まれていた

「満員御礼。起コス可カラズ」

同居は成功したようだった。
それからあとは予定通りに白梅酢の確認と紫蘇の漬け込みがあったが、全て順調に進んだ。それぞれの過程で少しずつ壺の文句も変化していて、梅干しとは仲良くやっているらしかった。
梅雨明けが近付いてくると梅を干すために真夏日を探すのだが、これがなかなかに難しい。連日のように新聞の天気予報と睨めっこをしていたが、ふと気になって壺を見てみた。
暫くぶりに見た壺には細かく何かが書き込まれていた。驚いて顔を近付けるとそれは次の一週間分のこよみで、それぞれに詳しく天気予報が書かれている。その中でも特に良い天気の三日間に大きく印がつけられ、側にはてるてる坊主まで描かれていた。新聞に載っていた天気予報では雨になっていたが、念のために早朝に起きてみると壺の予想通り快晴だったので、無事に梅干を完成させることができた。
できたての梅干しを入れた壺には新たな文句が彫り込まれた

「酸味同居中。相部屋可」

それ以降も、壺からは色々な音が聞こえた。それらはほとんどが夜中でその間は壺は開かなかったが、特に不便はない。
家族が言うには、その年の梅干しは普段よりもできが良いようだった。ただ、何となく数が少なく感じるとも話していた。
壺の中にいる何かは、滅法梅好きである。