阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「パンドラ」坂倉剛

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2020.03.09

第60回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「パンドラ」坂倉剛

「さすが、お目が高い」
古美術商はニヤリと笑った。
「こちらの品はめったに手に入るものではございませんよ」
「もらおうか」中原は即座に言った。

中原はIT長者である。なかば趣味、なかば投機という目的で世界各地の美術品を集めはじめて十年ほどになる。古美術商は得体の知れない人物だが、めずらしい品を持ってくるので懇意にしていた。

「中原様にはいつも格別のご愛顧をたまわり、おかげさまで手前どもも稼がせてもらっております。つきましては感謝のしるしといたしまして究極の品をお目にかけようと存じます」
古美術商はいったん奥に下がると、木箱を捧げ持って戻ってきた。
「こちらは」おぞましい笑みをニヤリと浮かべた。「パンドラでございます」
「パンドラ?」中原はいぶかしげな顔をした。「すべての災厄が詰まっていたというやつか?」
「さようでございます」
「これがそのパンドラの箱だというのか?」
中原はさすがに疑いの目を向けた。
古美術商は木箱のふたに手をかけた。

「わあ待て。開けるな」
「ご安心ください。こちらはいわゆるパンドラの箱ではございません。パンドラの本体はこの中に入っております」
「パンドラの本体? どういうことだ」
「百聞は一見にしかず。実際にごらんになってください」
細く節くれ立った手で箱が開けられた。中原は思わず目をそむけた。
しかしそこに現れたのは陶製の壺だった。「なんだこれは?」おそるおそる壺に目をやりながら中原はたずねた。
「パンドラでございます」
「箱じゃなくて壺じゃないか」
「パンドラの『箱』というのは後世に誤まって広まった伝承でして、もともとは瓶もしくは壺のかたちをしておったのです」
「それは初耳だな」
「すばらしい品でございましょう」古美術商は誇らしげな口調で言った。
その言葉にうながされ、中原は壺をじっくり鑑賞した。

商人が自慢するだけのことはあった。細口からゆるやかな曲線をえがいてふくらみ、いったんキュッとすぼまった後、また豊かに丸く盛り上がっている。それはちょうど――。「ちょうど女体のようでございましょう?」古美術商は中原の想像を見すかしたかのように言った。「滑らかな手ざわりとあいまって究極の女体美を体現しております」
「災厄はこの壺の中から飛び出したというのか?」
「そうではありません。パンドラの伝承はいささか込み入っておりましてな。火を盗まれたことに激怒した神が、人間の元へ一人の女を遣わした。その女パンドラは箱を手にしていて、パンドラが箱を開けるとありとあらゆる災厄が飛び出してきた――一般的にはそのような話として知られております」
「ちがうというのか」
「神がパンドラを遣わしたのはそのとおりです。しかしパンドラは箱など持っておりませんでした」
「どういうことだ? それでは災厄がまき散らされたという話にはならないじゃないか」「パンドラという女こそが諸悪の根源だった――それが真相です」
「なんだと」中原は目を丸くした。
「驚くにはおよびません。すべての人間は女から生まれるのですから、すべての災厄もまた女から生まれるわけでございます」
「ずいぶん乱暴な理屈だな」中原は壺を撫でながら言った。「これがパンドラそのものだというのか?」
「――と伝えられている物ですが、もちろん後世の作でしょうな。そうとう古い品であることは確かでございます。女の体のようなかたちをしているのはパンドラ伝説を意識してのことでしょう」
「なるほどな」
「そういえば中原様はまだ独身でいらっしゃいましたな。結婚のご予定などは?」
「つきあってる女性はいるけどね」中原は壺から手を引っこめて、肩をすくめた。「あんたの話を聞いてるうちになんだか怖くなってきたよ」
「これは私の言葉足らずでございましたかな。すべての災厄が女から生まれたのであれば、すべての幸福もまた女から生まれる――と、こう考えてみてはいかがでございましょう?」そう言うと古美術商はまたニヤリと笑った。