阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「消えない過去」村木貴昭

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2020.03.09

第60回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「消えない過去」村木貴昭

壷を見ると地獄のような過去が甦る。上司の罵倒と理不尽な命令に、反抗することを諦め善良な高齢者相手に優しい言葉をかけて売っていた。売れるたびに罪悪感が薄れていった。そんな底なし地獄の中で出会った天使のような老婆に救われた私だったが、重ねる年月が記憶を塗りつぶそうとしていた。

「この壷なんですけど、買い取ってもらえますか」二十代後半と思われる女性が大きな風呂敷を抱えてカウンターの前に立った。
休日のリサイクルショップは賑やかだ。といってもほとんどの客は購入ではなく、買取希望の客だ。それはつまり買取を担当している私が奔走することを意味する。その日も私は同じようにあわただしく訪れる買取客に休憩も挟まず対応していた。
その女性が来店したのは冬らしい闇が自動ドアの向こうに広がり始めたころだった。ふと気づくと、いつからいたのか若い女性がカウンターの前に立っていた。

「あ、いらっしゃいませ」私は内心驚きながらも丁寧な対応を心がけた。
「買い取ってくれますか?」女性の口がまた開く。大きな瞳はボタンのように感情が見えない。不思議な女性だった。
「承知しました」私は女性が抱える風呂敷に手を伸ばした。いやに軽い。カウンターテーブルに載せて風呂敷を開くと案の定、海外で量産されたような安物の壷が出てきた。だが、どこかで見たデザインだ。なにかがひっかった。すごく苦しい。胸騒ぎがした。

「亡くなったおばあちゃんが大事にしていた壷です。有名な陶芸作家がつくった作品で、とっても高額だったって聞いてます」

女性は壷を愛おしく眺めている。女性の話から、私はかつて勤めていた会社のことを思い出していた。それは二十年ほど前、忘れたい過去ともいえる忌まわしい営業をしていたころの話だ。私は独り暮らしの高齢者のお宅を回り、いろんな商品を販売していた。高級羽毛布団に磁気ネックレス、マッサージ器といった健康グッズの他、壷も販売していた。
その壷は海外からただ同然で輸入した安価なものだった。営業にはマニュアルがあり、そのマニュアルに沿って毎月のノルマを達成するように圧力をかけられた。私は上司からの過剰なまでの圧力に屈して善悪の判断ができないまでになっていた。連日、上司から受ける言葉の暴力に狂いそうになったある日、たまたま訪問した老婆の善意を利用して、その月のノルマの倍の金額で壷を販売したのだ。あのとき老婆は「可愛い孫が困ったときのためにかたちあるものに変えとこうと思う。あたしの可愛い孫の『るりちゃん』のためにね」そう言って、玄関の下足箱の上に飾られた写真立てを手に取って見せてくれた。写真には老婆と孫娘が仲良く並んで映っていた。

女性が買取を希望する壷は、まさしくそのときの壷で、私が老婆に売りつけた壷だった。
まさか、心臓がバクバクと激しく揺れた。

「買い取ってくれますか?」店内の照明を受けて女性の瞳が輝く。私は過去の黒い記憶が甦ると同時に胸を射抜かれたような息苦しさを覚えた。どう答えるべきか迷っていると、「おばあちゃんが亡くなる前、『るりちゃんがお嫁にいくとき、あたしが死んでたら、この壷を売って旦那さんと好きなもん買ってね』って言ってくれたんです」女性はそのおばあちゃんを懐かしむように微笑んでいる。
たしか壷は老婆に途方もない金額で売ったはずだ。いまさら弁償なんかできない。どうしよう。答えはひとつしかなかった。
「ごめんなさい」私はすぐさまカウンター越しに頭をさげた。
冷たい天板に額を擦りつけたあと、恐る恐る顔をあげると、女性が悲しげな表情で壷を見つめている。「買い取ってもらえないんですか?」
「すいませんでした」カウンターの向こうにいる女性の前に躍り出ると土下座した。今度は額を床に擦りつけた。こんなことで許してもらえるとは思わなかったが、できることは謝ることしかできなかった。
急に周りが静かになった。顔をあげると女性の姿はなかった。立ち上がりカウンターを見ると、写真が一枚、ぽつりと置かれている。
あの写真だった。老婆と孫娘が並んだ写真。店内を見回した。誰もいない。女性だけじゃない。店員も客も誰ひとりいなかった。
いったいどういうことだ? もう一度、写真を見て驚愕のあまり腰が抜けそうになった。写真には老婆の姿はなく幼かった孫がさっき来た女性に変わり、女性は旦那と思われる男と並んで写っていた。めまいがした。

「買い取ってくれますか?」突然、目の前に女性が立っていた。大きな風呂敷を持っている。同じことが繰り返されている。何度も謝っているのに永遠に許されることがない地獄が続いている。