阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「ロッカーのスペース」坂倉剛

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2020.05.08

第62回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「ロッカーのスペース」坂倉剛

一日の勤めを終えた彼らは愚痴をこぼしあった。

「あー、今日も疲れたなあ」
「俺たち下っ端だからこき使われるんだよな」

彼らはまだ若かった。仕事用の制服を脱ぎ、私服に着替える。なんだかんだ言いながらも狭いロッカールームは活気にあふれていた。
ボッズもそのうちのひとりだった。彼ら下っ端の中でも特にうだつの上がらない、お荷物のような青年だった。

「おい、ボッズ」先輩社員が言った。「おまえ、ロッカーの中が汚ねえんだよ。すこしは掃除しろ」
「すみません」ボッズは頭を下げた。「片づけなきゃな、とは思っているんですけど」
「ちゃんとしてくれよな。まわりが迷惑するんだからよ」
ひとりひとりに割りあてられたロッカーはたて長タイプではなく、駅のコインロッカーと同じ小さな正方形タイプだった。とうぜん中は狭い。

天文学者のあいだでは議論がつづいていた。
「宇宙に果てはあるのか? 果てがあるとしたら、その外側はどうなっているのか」
「宇宙はビッグバン(宇宙誕生)以来、膨張を続けているのであるから、宇宙に果てなどない」
「それはちがう。宇宙はひとつだけ存在するのではなく無数に存在する(多元宇宙)のだから、それぞれの宇宙に果てはあるはずだ」
「ないといったらない」
「あるといったらある」

ボッズは自分のロッカーを開けようとして――ためらった。中からなにかの気配のようなものを感じたからだ。
「おい、ボッズ。着替えないのか?」先輩が言った。
「いや、その……」

ボッズはなおも迷っていたが、やがて意を決してロッカーの扉を開けた。
「ひゃっ!」中を見た瞬間、すっとんきょうな声が出た。
「なんだ、どうした?」

まわりの同僚たちも集まってきてボッズのロッカーをのぞいた。

「うわあ、なんだよ、これ?」
「ひどいありさまだな」

ロッカーの中はたいへんなことになっていた。暗く狭いスペースに無数の塵が漂い、渦を巻いていた。

「ほこりだらけじゃないか」
「だらしないやつだなあ」

先輩や同僚はあきれ顔で口々に言った。

「すみません」ボッズは恐縮して下を向いた。
「これヤバいんじゃないか? 変な虫が湧いたりしてないだろうな」
「早くなんとかしろよ」
「すぐにきれいにします。すみません、すみません」

ボッズは平身低頭、ひたすら謝りながらロッカーの清掃に取りかかった。
その様子を見ながら先輩が背後から声をかけた。

「これだけ不衛生だとバイ菌が発生したりするからな」
「ほんとにすみません」
「そういう微生物の中に知能や意志を持ったものがいるとしたらどうだろう?」
「なんですか、それ」ボッズはけげんな顔で振り向いた。
「そんなバカな話があるわけないじゃないですか。微生物は下等な生命体ですよ」
「俺らの目から見ればそうだけどよ。微小な生物の立場からすれば彼らのサイズで頭があり、手足があり、頭の中には脳みそもあるかも知れないだろ。彼らとはあまりにもスケールがちがいすぎるから認識できないだけでさ」
「顕微鏡を使っても見えない知的生命体ですか? 本気でそんなこと考えてるんですか?」
「まさか」先輩はニヤリと笑った。「なんとなく思いついただけだ。さあ隅々まできれいにしとけよ」

太陽系は天の河銀河の周縁に位置する。一九二〇年代まではこの天の河銀河こそ宇宙のすべてだと見なされていた。「アンドロメダ星雲」と呼ばれていた星の集団も天の河銀河の中にあると考えられていた。
しかし高性能な望遠鏡での観測により、アンドロメダは天の河銀河よりもはるか遠くにある「銀河」であることが判明した。
現在よりもっともっと高性能の望遠鏡が作られれば宇宙の謎をすべて解明できるのではないか――。
だが、そんな夢や希望もとつじょとして現れた巨大な手によって引っかきまわされ、雲散霧消した。あまりにも巨大すぎたので人類には「手」とは認識できなかったが。

(了)