阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「亡者の助言」辛抱忍

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2020.05.08

第62回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「亡者の助言」辛抱忍

気配を感じてふり返ると、男が立っていた。 私は仕事に集中していたため、男が入っていたことに気づかなかった。急に心臓が高鳴ってきた。

「どちら様でしょうか」
「決して怪しい者じゃないよ。僕は以前ここで働いていたことがあってね。明かりが見えたので、覗いてみたんだ。見ない顔だね。君は新人?」
「そうです」
「こんなに遅くまで大変だねえ。仕事は経理かな?」
「そうです」
「僕も経理をしていたよ」

男は近づいてきた。おいおい、仕事の邪魔をしないでくれ。

「なるほど、机上は、注文書、納品書、契約書、請求書の山だねえ」

男はパソコン画面を覗いた。

「工事台帳の記入も結構手間がかかるからねえ。もしかして、君は年中無休じゃないか」
「いいえ、週一は休みを取れています」
「しかし、半日は出勤しているんじゃないかな?」

男は私をじっと見て、ほくそ笑んだ。

「図星だな。仕事を片付ければ片付けるほど仕事は増えていく。そういうもんだよ。僕もそうだったからね。
ところで、君のロッカーは、端から二番目のやつかな?」

男はロッカーを指差した。

「はい。どうしてわかったんですか」
「あれは、リストラ候補専用のロッカーなんだよ」

僕は、むかむかしてきた。

「それはないですよ。会社はそんな理不尽なことはしません」
「本社からこの支店に飛ばされたんだろう?」
「ええ、まあ」

リストラされるなんて絶対にない。

「ここは僕の天職です。就活で、唯一決まった会社なんです。この会社に運命を感じているのです」
「正社員になれるのはほんの一握り。天職だと思いたくなる気持ちはよくわかる」
「何が言いたいのですか。そもそも、あなたはここに何をしに来たのですか」
「この会社はブラックだということを教えにきたんだよ。あまりにも鈍感だから」
「もしかして、競合会社の人ですか」
「僕は元社員だと言っただろう。だからこそ、可愛い後輩のために忠告している」
「余計なお世話です」
「軍隊のような朝礼での十則唱和。毎月の厳しい研修。意味のない飛び込み営業。実現不可能なノルマ。次々に辞めていく社員。君の同期で残っているのは何人いる?」
「ほとんど一年以内に辞めてしまいました」
「干されて退社を余儀なくされた同僚を見たことがあるだろう? ゴミ箱診断してリストラされた同僚もいただろう?
リストラの不文律があるんだよ。会社の士気を高めるために特定の社員を生贄にするんだ。今は君がその状態だ。大量の仕事を押しつけて、処理できないと罵倒する。君は所長に毎日叱責されているだろう」

その通りだったが、僕は首を左右に振った。

「君を見ていると、昔の僕そっくりだ。僕も若い時は君のように直向きだった。やれば何でもできると、根拠のない自信を持っていたものだ。でも、現実は甘くない。いくら努力しても無理なものは無理だ。人間には向き不向きがあるからね。
ところで、ロッカーのことだけど、一番隅っこのロッカーは封印されているよね?」

以前、間違えて開けようとしたら、鍵がかかっていたのを思い出した。誰に聞いても教えてくれない謎のロッカーだった。

「あのロッカーは僕が使っていたんだよ」

僕は少しぞっとした。

「封印されている理由はわかるかな?」
「いいえ」
「僕は当時多額の振り込みミスをしてしまってね、それで、僕は依願退職した。会社は二度とミスが起きないようにあのロッカーを封印したんだよ。僕はねえ、僕のような犠牲者をこの会社から二度と出したくないんだよ」
「まさか、あなたは……」

男は微笑みながら、僕の肩を数回軽く叩いた。
その時、僕は目を覚ました。僕はいつのまにか眠ってしまっていたらしい。机上にうつ伏せになっていて、涎も食っていた。
転職を考えた方がいいのかもしれない。ぼんやりした頭で、そう思った。

(了)