阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「わすれもの」松本タタ

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2020.10.09

第67回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「わすれもの」松本タタ

 二学期のはじめ、俺は席替えで、偶然にも水沢真紀のいた席を使うことになった。
 水沢は、一学期の終わりに引っ越した。小さなお別れ会がひらかれ、担任は家庭の事情と説明した。もっとも、両親の離婚によることはみな知っていたが。
 自分の教科書やなんかを入れていると、奥に何かあることに気づいた。
 オレンジ色の消しゴム。
 彼女が忘れていったのではと思ったとたん、なぜかあわててまた机の中へ隠した。可愛らしい模様の紙ケースで、繋ぎ目が破れてしまったらしく、ていねいにセロテープで直してある。水沢らしいと思った。
 あまりしゃべったことはなかった。おとなしい子だったし、こっちも積極的に話しかけるタイプではない。なのに、国語の授業で一度だけ組んで発表したことが、やけに印象に残っていた。
 俺はその消しゴムを、ズボンのポケットの底へそっと落とし込んだ。彼女の記憶とともに。

 社会人一年目、同窓会の話が来た。
 地元の居酒屋の二階。懐かしい元・六年一組の顔が集まっていた。幹事の挨拶から始まって、担任も交え、すでに二時間近く。けっこう酒も入って、みな記憶の限り思い出話に花を咲かせている。
 俺はまだ、水沢に話しかけられないでいた。
 来ていたのだ。転校していった生徒だし、まさかとは思っていたが。
 友人たちに相槌を打ちながら、ときおりちらっと様子をうかがう。ものすごい化粧や服装で現れてくれたら、あの件は話さずに済まそうと決めてあった。しかし、彼女はおとなしげで清潔感のあるあのころのまま、大人になっていた。
 決心がつかないでいると、ついに幹事たちが二次会の相談を始めた。俺は焦った。
 そのときだ。水沢がついと席を立ち、部屋を出ていくではないか。
 今しかない。すっかり生ぬるくなったビールを一気に飲み干す。
 戻ってきた相手に、思い切って声をかけた。
「あの!」
「はい?」
 他人行儀な響きに少しくじけそうになったが、踏みとどまる。
「覚えてないと思うけど……」
 俺はとうとう、ポケットからオレンジ色の消しゴムを取り出した。あの日以来、はじめて他人の目にさらすことになる。手がじっとりと汗ばんでいた。
 席替え後、持ち物を整理していたら出て来たとかなんとか、通用するか否かはともかく説明をした。今ならはっきりとわかる当時の感情まで、触れる勇気はなかったが。
 水沢は、受け取った消しゴムをじっと見つめている。俺は急に不安になってきた。
 しまった、やっぱりマズかった。ただの気持ち悪い奴になってしまったか……。
「……覚えてる」
「えっ? ホント?」
 水沢が、その場に腰を下ろす。つられて自分も座った。
「これはね、忘れていったんじゃないの。勝手に考えた、おまじないなの。転校したくなかったから」
「……」
「もうお母さんも再婚してるし、わたしはこっちで就職が決まって、春から独り暮らししてるの。今になって願いが叶うと思わなかったけど」
 そして、ケースから中身を取り出すと、すっかり風化しているセロテープをパリパリとはがした。何をするつもりだろうとみていると、それをひろげて広げてみせた。
「あっ」

〈またもどってこれますように 水沢真紀〉

 ケースの裏側には、細いペンでそう書かれていた。
 両親が別れ、住み慣れた土地を離れなければならなくなった子供。どんな気持ちでこれを書いたのだろう。みなからの寄せ書きやプレゼントを受け取ったときの寂しそうな顔が、いまさらながら思い出された。
 だが、今目の前にいる水沢は笑っていた。
「ありがとう」
「えっ……」
「捨てずに、とっておいてくれたからかもね」
 何かが、俺の背中を思いきり押した。
「あ。あのさ。よかったら、今度……」
 どこかでドッとバカ笑いが起き、彼女の返事が巻き込まれた。
 もう一度聞きなおさなければならないだろうか。いや、たぶんその必要はないだろうな。
(了)