阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「タイムリミット」広都悠里

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2021.02.09

第71回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「タイムリミット」広都悠里

 来週の土曜日、夢の台駅で夕方七時に待ち合わせをしましょう、と妻は言ったのだ。
「七時だな、わかった。でも食事に行くのにわざわざ待ち合わせをすることもないだろう。一緒に行けばいいじゃないか」
「いろいろ用事があるのよ」
 色々って何だ、と聞こうとしてやめた。聞けば話が長くなる。出かけるとなれば服はあちらの方がよかったかしらとか髪がうまくまとまらないとか、やっと支度ができたのかと思えば化粧がまだできていないなどと言い出し、玄関先でしびれを切らすことを考えれば妻の提案は悪くないものに思えた。
「ちゃんと私を見つけてね」
「は?」
「夢の台駅は人が多いから」
「バカバカしい」
 鼻で笑って新聞を広げた。わざとらしいため息に「遅刻するなよ」と付け加えておいた。
 なのにどうだ。約束の時間になっても妻は現れない。スマートフォンを開くと妻からメッセージが来ていた。
「やっぱり遅刻か」
 舌打ちしながらメッセージを開くと思いがけない文面がとびこんできた。
「待っています」
 どういうことだ、と声が漏れた。
「もう、着いているってことか?」
 どこにいる? と打ち込んで、返信を待ちながらあたりを見回し、妻を探した。
 短いスカートをはいた高校生らしき女の子、体にぴたりと沿うようなスキニージーンズをはいた二十代とおぼしき金髪、眼鏡をかけたふくよかな中年女性、ショールをまいた白髪頭のお婆さん、深緑のコート、白いコート、黒のコート、ぐるぐると見回す。どこにも妻はいない。
「場所が違うのか?」
 夢の台駅に改札口は二つあるが、待ち合わせといえば駅の名前が大きく見える正面改札のところだと思い込んでいた。 もしや、ともうひとつの改札口へ回ってみたが、やはり妻の姿はない。苛々して電話をかける。
「どこにいるんだ。中央口じゃないのか」
「あと五分で見つけて。そうでないと」
 ぷつりと電話が切れた。
「あと五分? 五分で見つけられなかったらどうなるんだ?」
 ぷつり。
 ツーツーツー、切られた電話の音に冷たく急き立てられて中央口に再び駆け戻る。どうして走らなきゃならないんだ。
 見つけて。そうでないと。
 あの後、妻は何を言おうとしたのだろう。

「遅すぎる」
 妻は膨れた。
「時間内に見つけたんだからいいじゃないか」
「ギリギリだったわ」
「イメチェンしてるとは思わないじゃないか」
「髪を切っただけよ」
「美容院に行くなんて聞いていなかったぞ」
「前に髪を切ってから三カ月たっていたし、ちょうどいいタイミングだと思ったのよ」
「ずっとロングだったじゃないか」
 長かった髪がぷっつりと耳の下あたりで切られている。
「それに髪の色だって」
 ずっと黒髪だったのに明るい栗色に変わっていた。
「白髪が目立ってきたから思い切って染めようかなって相談したら明るい色にしてみたらどうだ、って言ったじゃない」
「言ったかもしれないけど、今日染めるとは聞いていなかった。それに、そのコート。ベージュのコートなんて持っていたっけ?」 
「去年のバーゲンで買った、って見せたじゃない。あなたって本当に私に関心がないのね」
「そんなことはない。ちゃんと見つけたじゃないか」
 半信半疑で近寄った時の焦りと恥ずかしさと戸惑いを思い出すと、再び嫌な汗がじっとりと滲んだ。
「なあ、見つけられなかったらどうなっていたんだ?」
「離婚」
「え?」
「冗談よ。がっかりしてあなたを残して家に帰ったかもね」
「酷いなあ」
 隣を歩く妻がいつもと少し違って見える。そう思った後で、自分が「いつもの妻」を知っているのかどうか、急に自信がなくなってきた。
 大丈夫。タイムリミットは回避できたのだから。そう自分に言い聞かせながら、仕切り直しにふさわしい店を探し始めた。
(了)