阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「三途の川」奈津芽

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2021.02.09

第71回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「三途の川」奈津芽

 三途の川とは、荒涼とした石河原の向こうに大河がおどろおどろしく流れ、彼岸へ渡るには船頭の漕ぐ小舟で運んでもらわなければならない、というイメージだった。
 実際に来てみると、暖かな光を浴びる河原に柔らかい草が一面に生え、七色の野花が入り乱れて咲いている。川は想像通り大河だが、きらめきながらゆったり流れ、渡る幾艘もの小舟に乗る人たちは皆笑顔だ。
「あんた、安寿さんだね? 享年三十七」
 背後からの声に振り向くと、浮世絵の船頭さながらのふんどし姿の男が軽量タブレットを片手に立っていた。私の目を見て確認完了という表情を浮かべ、画面に視線を移した。
「妻子ある不倫相手の運転する車に同乗中、車が港の岸壁から海に落下。んでもって溺死。だが安心しな。あんた極楽行きだからよ。かなり情状酌量されて、まあいいかって感じの極楽行だがな。さ、俺の船に乗った、乗った」
 船頭が私の腕を引っ張ったので、踏ん張ってその手を振り払った。
「いっしょにいた怜雄は? 怜雄も溺死したんでしょ? なぜここにいないの?」
 船頭は眉をひそめた。
「シャバで生きてるよ。事故は、結婚を迫るあんたを殺して自分だけが助かる計画殺人だったんだからさ。車が海につっこんだとき、男は素早く窓をたたき割って脱出したろ?」
 そうだ! それで私も運転席の窓から出ようとしたのにシートベルトが外れなくて……。
 五年も弄ばれた挙句に殺された? 殺されるべきは怜雄だったのに? ドライブ中に致死量のカエンタケのエキスを混ぜたコーヒーを飲ませるつもりで、銀色のサーモボトルを持参していた。なのに殺す前に殺された? 
 無念すぎて極楽に行く気に到底なれない。
 船頭は私の心を読みとったようで、ため息をついた。「船に乗らないのかい?」
「ここで待ちます。怜雄を待ち伏せる」
 船頭がふんどしの脇にぶらさげていた巾着から竹の呼子笛を取り出し、私に握らせた。
「船に乗りたくなったら、この笛を吹きな。迎えに来るよ。ただし、迎えに来られるのは光が溢れている間だけ。シャバに夜が訪れるようにここが闇の世界になったら来られない。あんたみたいにさ、駄々をこねるもんって結構いるんだよ。でも、闇の世界を経験すると、次の日には笛を吹く。じゃ、またな」
 船頭は足取り軽く去った。呼子笛をジーンズのポケットにつっこみ、柔らかい草の上に大の字になって手足をばたつかせた。悔しい! 涙が溢れ、流れるままにしておいた。
 いつの間にか眠り、目覚めると辺りは漆黒の闇に包まれていた。背中が痛い。ふかふかの草むらに寝ていたはずなのに、河原はゴツゴツした石だらけになっていた。体を起こして三途の川を見やると、川沿いに間隔を置いて設置された篝火が赤黄色い灯をゆらめかせ、人を乗せた火だるまの小船が川を下っていた。
 ドンと背中に何かがぶつかり、ぶつかったものがドサッと倒れた。
「てめえ、やる気か!」と凄みのある野太い声がして、起き上がった男が私の首を片腕で絞め、何かを私の頭につきつけた。とっさに拳銃だと感じて恐る恐る首を小さく振ったとき、銃声が耳をつんざいた。男が再びドサッと倒れた。「仕留めたか?」、「おう」と石を踏みしめて近づく二人の足音がして、一人が倒れた男の髪をつかんで顔を引き上げた。
 倒れていた男が飛び起きたのを合図に二対一の激しい銃撃戦が始まった。もう死ぬことはないのだから、この連中はずっとこうしているのだろう。私にも流れ弾が当たり体に衝撃を受けた瞬間、直線の光が男たちを照らし、ヘッドライトを装着した二本角の青鬼が大股で男たちに近づいてトゲだらけの大きなこん棒で次々と遠くに打ち払った。スタンドカラーのピシッとした服装の青鬼は私をジロリと見て、無表情に去って行った。
 ああ、すてき! トゲトゲのこん棒! 怜雄が河原に来たら、あのこん棒でホームランをぶちかましてやりたい! 
 篝火のそばに一本角の赤鬼がいて、石で足首をひねりそうになりながらも駆け寄った。「鬼さんたちはどういう方なのですか?」
「闇の河原に跋扈する地獄行きの者たちを取り締まる役人だ。何か用か?」
 船頭からもらった呼子笛をてのひらにのせて見せ、三途の川に投げ捨てた。
「私も闇の河原の役人になりたいです」
「だったら鬼事部に行ってみろ。川下の地獄に向かって歩くと、途中に鎌形の建物がある」
 赤鬼に礼を言い、闇に阿鼻叫喚が響く中、地面を踏みしめて川沿いを進んだ。右手に幅の狭い橋が見え、『関係者以外利用禁止』の札が掛かっていた。これは目印にしやすい。 
 すぐシャバに念を送った。怜雄、この橋で待ち合わせしましょう。死んだらここに来て。いいわね? 篝火に照らされ揺らめく私の影の頭に小さなでっぱりが二つ生えてきた。
(了)