阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「銀の爪弾き」橘静樹

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2021.03.09

第73回 阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「銀の爪弾き」橘静樹

 会社の事務所の端に置かれた小さな机の上で、コピーした資料をホッチキスでパチン、パチンと綴じる日々。私が今やっている仕事は、私の日常そのものだ。代わり映えのしない資料を、日々を、毎日繰り返し綴じていくだけの単純な作業。
 飲み会の席で上司に言われた「女性の割に」という表現には引っかかるものしかないけれど、それでも周囲からは仕事ができる人物だと評価されてきた。ただ、出る杭、という表現もあるように、それが邪魔だと思う人はどこにでもいるらしく。毎日伸びていく爪が次第に邪魔になるように、ある日突然、パチン、と私は切り捨てられた。責任、という名前の付け爪で丁寧に装飾された後で。
 さて、どうしたものだろうか。
 ホッチキスの口を軽く合わせ、空中でカチカチ、と鳴らしてみる。それから親指に思いきり力を入れると、ガチン、と硬い音がして、ひしゃげた針がひとつ落ちた。何も綴じることができず、折れた体で申し訳なさそうにしている。足元のゴミ箱に入れる。
 私が使っていた机には、つい先日まで同じチームで仕事をしていた後輩が座っている。彼女は仕事ができる上に気立ても良く、営業の男性陣からの評価も良い。彼女がリーダーになることで上手く回る部分もあるだろう。少し前まで彼女の横顔を見ていたのに、今では背中を見るようになってしまった。
 たまに振り返って私と目が合ったとき、彼女は何とも申し訳なさそうな表情を見せてくれる。ああ、いい子なんだろうな、と思う。彼女の座席にやっかみの気持ちがないこともないが、それはこれまでにかけた時間が私にもたらすものだから、自覚して、受け入れるしかない。それに彼女は何も悪くないのだから、私が責めて良い道理はどこにもないだろう。パチン、と資料を綴じる指に、少しだけ力が入る。これも、しょうがないことだ。
 私にできることは、何か。それをここ数日考えている。次の資料をホッチキスで挟み、指に力を入れてみたものの、針が引っかかったのか、上手く通らなかった。人知れずため息を吐く。束ねるのが、下手なんだな。不器用なんだろう。私が思っていたよりも。
 ホッチキスの前と後ろをひっくり返して、テコの原理で針を抜く。不格好に折れ曲がった針が、白い紙の上に落ちた。摘まみ上げると、親指の皮膚がちくちくと痛い。なんとなくゴミ箱に捨てきれなくて、閉じたままの黒いノートパソコンの上に置く。
 すると真っ黒な海の上に、銀色の小さな島が浮かんだ。仲間のいない海にひとつだけ、ぷかぷかと浮かぶ島。
 さみしいよね、と話しかける。資料を綴じ損ねたふりをしたり、わざと何もないところでホッチキスを挟んだりして、折り畳まれた針を七つ作った。七つの玉を集めると一つだけ願いが叶う話があったけれど、私だったら、何を願うだろうか。
 パソコンの上で待つ小さな島に繋げていき、大きな島を作る。私だけの銀色の島を、もっと輝かせてあげたいと思った。円環の形から少しずつ、角ができるように並び替えていくと、見覚えのある形になる。ちょうど八本の針でできる、ダイヤモンドの形。八は末広がりで縁起がいいらしいよ、と話しかけた。
 そういう未来もあったのにね、と私は指輪のない左手の薬指を見る。先を見て、先だけを見ようとして生きてきたはずなのに、想い出に浸る時間ができるなんて思わなかった。二回目のさようならを言って、ダイヤモンドを分解し、八つの小さな島に分ける。生き方も、生きていく場所も、一つに絞らなくてもいいはずだ。渡り鳥のように、島から島へ移動することも選択肢の一つだろう。
 顔を上げると、ちょうど後輩の彼女がこちらに来ているのが見える。七つの机が固まった大きな島から、私のいる小さな島へ、しっかりとした足取りで。彼女はもう、群れを率いるリーダーなのだ。
「先輩、この資料を二十人分、お願いします」
 いつもの、申し訳なさそうな顔。こんなに似合わない顔をさせるわけにはいかない。
「うん、わかった。がんばってね」
 私のもとを飛び去って帰っていく彼女の背中を見送った後、預かった資料に目を通す。立派なものだ。
 バッグの中に数日入れたままにしている白い封筒を取り出す。中にあるのはただの紙切れ一枚だけど、私が飛び立つには必要なものだ。ゴミ箱に入れていた針を拾って封筒に入れ、ホッチキスで力強く綴じる。少しくらい後を濁したって良いよね。
 ノートパソコンに乗せた八つの針は、手のひらですくってポケットに入れる。この願いの先に良いことが広がっていくように、私と一緒に連れていく。
(了)