第75回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「メッセージ」三田村保歩

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2021.06.09

第75回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「メッセージ」三田村保歩

「おっとっと。いけねえ、いけねえ。またやっちまうところだった。」
 大学病院の休憩スペースで本を読んでいた。本棚に退院していく人が寄付した本が収められている。ここはちょっとした図書館で、僕のお気に入りのスペースだ。
 僕は生まれたときから入退院を繰り返し、小学校には半分ぐらいしか行っていない。午前中この図書館で本を読む。好きなジャンルは伝記もの。中でもベーブ・ルースが大好きだ。病気の少年と約束してホームランを打つ。彼は夢を叶えてくれる憧れのヒーローだ。
 一ヵ月前、見覚えのある隣のクラスの男の子が休憩室でゲームをやっていた。スポーツ刈りの日焼け顔に、くっきりとえくぼが浮かんでいた。視線を感じたのかゲームの手を止め目が合った。
「何読んでるの?」人懐っこい笑顔で車椅子の僕に近づいた。
「伝記もの。昔、偉いことをやった人の話だよ。君、歴史上の人物で好きな人いる?」
松井秀喜まついひできかな。ヤンキースで活躍した、偉大な日本人バッターなんだ。俺も早く元気になって野球やりたいんだよ」
「野球やっているんだ。僕はベーブ・ルースが好きなんだ。で、どこが悪いの?」
「腎臓さ。突然悪くなったんだ。君は?」
「僕は心臓。生まれたときから悪いんだ。何度か手術したけど、移植するしかないみたい。ドナーをさがしているんだよ」
「俺もそう。あ、俺、ミツル。パパがつけたんだけど、昔の野球アニメに出てくる天才バッターなんだって」
「僕はマナブ。大学で文学教えているパパがつけたんだ」
「だから本が好きなんだ。今度、おもしろい本教えてよ」
「分かった。それでミツルのポジションは?」
「四番でサード。来年さくらちゅうで野球やるんだ。監督からスカウトされたんだよ」桜中は甲子園常連の附属校で、小学生の有望選手を集めていた。
「凄いな。応援行ってもいいかな」
「もちろんだよ、マナブが来たらベーブ・ルースみたいに予告ホームラン打ってやるよ」
 僕はこんなミツルが一瞬で好きになった。性格も体力も風貌も正反対で、自分にないものを全て持っている。でも妬みも嫉みも感じない。自分の分身のように応援したくなる。
 ――手術することになったんだ。
 休憩室でミツルが知らせてくれた。
「パパの腎臓を一個もらうんだ。本当は子供の方が良いみたいだけど時間がないんだ」
「そう……。あ、これ。本持ってきた」
『銀河鉄道の夜』を手渡した。せっかくできた友達と別れる寂しさが頭を過る。
「サンキュー、読んでみるわ」声を弾ませ廊下を走って行った。毎度のことだ。心臓のドナーなんてそう簡単に見つかるものではない。
 ――数日後。
「おめでとう、ドナーが見つかったよ」
 主治医の坂本先生が、興奮気味に病室に入ってきた。突然降ってわいたような幸運に、パパとママが涙を浮かべて喜んだ。何が何だか分からないまま、病室を移され緊急手術が始まった。
 ――夢を見た。本を貸す前に読み返したせいだろうか。「銀河鉄道の夜」の最後の場面だ。ジョバンニが僕で、カムパネルラがミツルだ。最終地点の石炭せきたんぶくろあなに近づくと、列車を降りたミツルが大きく手を振り何かを叫んでいる。「ミツル、何!」夢の中で叫んだ瞬間、目が覚めた。はち切れそうな笑顔のパパとママが目に入る。
 ――手術後、ミツルの部屋の前を通ったとき、誰もいないベッドの上に、星空を走る銀河鉄道の見慣れた表紙が目に入る。
「あれ、ミツル、もう退院したんだ」
「ダメだったの。移植後の拒絶反応が酷かったみたいで……」車椅子を押す看護婦さんが耳元で囁いた。
 ――それからひと月、僕は退院した。生まれ変わったように身体が動く。車椅子なんか必要ない。かけっこだって人並み以上に早いし、階段だって三段飛ばしも問題ない。
「僕の心臓って誰のかな?」気になっていたことをママに聞くが、答えは分からない。親族以外の臓器移植は、当事者間の情報が遮断されているのだ。でも僕は確信している。
 ――僕の中に、ミツルがいることを!
 あの日ミツルは、天国に行く途中、僕を銀河鉄道に誘い出し、何かを伝えていた。それは五文字のメッセージだ。僕はミツルの表情と口の動きを思い出し、読唇術のように文字合わせを続けている。そんなある日、雷に打たれたような衝撃が背筋を走る。
 ――た・の・ん・だ・ぞ――
 口の動きと表情がぴたりと一致した。ミツルは果たせなかった夢を僕に託したんだ。
「僕、野球やるよ。これから一生ミツルと生きていく」心臓に手を当てた。ミツルの心臓がメッセージと同じリズムを熱く刻んでいた。
(了)