直木賞受賞作『熱源』について(2020年3月24日更新)

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2020.03.24

キャラ立ての巧みさ

今回は例外として、第162回の直木賞を受賞した『熱源』(川越宗一)について論じさせていただく。

『ウィキペディア』で「川越宗一」を検索すると、「会社員として勤めるかたわら、若桜木虔の小説添削講座を受講」と出て来る。

私は、カルチャー・センターやインターネット、「公募ガイド」紙上で添削講座を始めて20数年になるが、直木賞受賞者を出したのは、これが初めてである。

しかも、私が川越さんを指導したのは、2017年の4月から10月までの7ヶ月だけで、この短さは第2回の小説現代長編新人賞を受賞した田牧大和さんの半年に次ぐ。

2人に共通するのは「最初から登場人物のキャラ立てが巧みだった」である。この「登場人物のキャラ立て」が、どういう意味なのかが、圧倒的大多数の人には、分からない。

「あの作品の主人公、キャラが立っているよな」という感想は持てる。しかし、いざ、それを実践しようと思うと、できない。

野球で、がんがん良い打球を飛ばすバッターのフォームを見て、自分も同じように打とうと、打席に立つと、良い打球どころか空振りばかりで、まるで当たらない状況に似ている、といったら理解してもらえるだろうか。

私の生徒でビッグ・タイトルの新人賞を受賞して現在は活躍しているプロ作家の中にも「キャラが全然ダメ。魅力なし」と、実に10年間に亘って酷評し続けた人物がいる。

そのくらい「登場人物の(特に主人公の)キャラを立てるのは至難中の至難である。要するに、キャラ立ては「そうか。こうやれば良いのか」と悟る以外にない。

私の添削講座の門を「プロ作家になりたいんです」と叩く人の9割は、頭では「キャラを立てる」意味が理解できるのに、実践できない。たいてい、10年も辛抱することができずに、途中でやめる。10年も私の酷評に堪えて書き続けるのには、よほど根性がないと、できない。

1割は、「キャラを立てる」意味が理解でき、一応は、実践もできる。だが、「素晴らしく魅力的」とまでは行かない。

このタイプの生徒は、ビッグ・タイトルの新人賞を射止めるまでに3年から5年ぐらいを必要とする。

「公募ガイド」のサイトには、私に教わってプロ作家デビューできた生徒の体験談が載っているが、大多数が、このタイプである。

長い物語を書いてはいけない

さて、『熱源』に話を戻そう。この記事を読んでいるのは新人賞受賞を目指しているアマチュアだと思うので『熱源』で真似してはいけないことを書く。

まず、こんな長い物語を書いてはいけない。応募規定枚数オーバーで、枚数無制限の新潮ミステリー大賞しか狙えない。

新潮ミステリー大賞で予選落ちした時に、推敲して改稿して他の新人賞に応募し直すことができない。今まであったメフィスト賞のような枚数無制限の新人賞も、どんどん上限が設けられるようになった。

だから、新潮ミステリー大賞も、いつ上限が設定される応募規定の改訂が行われないとも限らない。

『熱源』が途轍もなく長くなった理由は、登場人物の人数が多いからである。新人賞応募作なら、この3分の1か4分の1の人数にまで、絞り込まないといけない。

その程度の人数に限定しないと、登場人物のキャラを立てることが不可能になる。

また『熱源』の冒頭シーンは太平洋戦争直後の樺太で、その後、明治時代の樺太のアイヌの物語と太平洋戦争直後の物語と、時系列が行ったり来たりする。

これも新人賞応募作では、絶対にやってはいけない。応募作では、エピソードを出来事の順番通りに並べるのが鉄則。

『熱源』が新人賞応募作なら、この時系列崩しが原因で一次選考落ちする可能性がある。それは、一次選考担当の下読み選者が応募作を読む姿勢に、根本的な大差が存在するからである。

下読み選者の手元に回ってくる応募作は9割以上が、箸にも棒にもかからないダメ作品で、「どうせ、こいつも退屈な作品だろう」という先入観で読み始める。

それに対して『熱源』は「松本清張賞受賞作家の第1作」である。「松本清張賞作家だから、面白いだろう」という気持ちで読み始める。この先入観の差は、極めて大きい。

キャラ立てのテクニック

さて、今度は、アマチュアは新人賞応募作を書く“傾向と対策”として何をやらなければならないかを書く。

まずサイドライン用の蛍光ペンを用意する。色の数は、できるだけ多いほうが良い。

で、『熱源』を読んでいて「この登場人物のこの台詞は出色。キャラが立っている」と思ったらサイドラインを引く。あいにく『熱源』は、まだ文庫化されていないので勿体ないが、新人賞を射止めるには、そのくらいの投資を躊躇してはいけない。

「キャラが立っている」と思った登場人物の台詞にサイドラインを引く場合、別の登場人物ならば色を変える。

そうすると『熱源』では、キャラが立っている人物が数十人にも及ぶ。だから、色の数を多く用意する必要があるわけである。

凡庸なプロ作家では、せいぜい3人か4人ぐらいしか台詞でキャラを立てられない。その点で『熱源』は登場人物のキャラ立てが天才的に上手い。こうして書いている私も、弟子ながら川越宗一さんの足元にも及ばない。

3人か4人、主要登場人物のキャラを立てられれば、それだけでビッグ・タイトルの新人賞を狙えるし、過去には、たった1人しかキャラが立っていないのにビッグ・タイトル新人賞のグランプリを射止めた受賞作さえ、存在する。

『熱源』の「台詞による主要登場人物のキャラ立て」のテクニックの3分の1でも盗めれば、ビッグ・タイトル新人賞は、もう目の前である。

プロフィール

若桜木虔(わかさき・けん) 昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センターで小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。

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2014年9月9日 野性時代フロンティア文学賞(2014年9月号)
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2010年5月9日 日本ミステリー文学大賞新人賞について(2010年5月号)