新潮ミステリー大賞 その2(2020年7月9日更新)

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2020.07.09

求められるのは青春小説?

今回は、前回の新潮ミステリー大賞第3回受賞作『夏をなくした少年たち』(生馬直樹)に引き続いて第5回の受賞作『名もなき星の哀歌』(結城真一郎)について論じる。

どっちも、小中学生時代にポイントを置いた「青春小説」である。

ひょっとしたら、新潮ミステリー大賞が求めているのは、ミステリーではなく青春小説かもしれない。第2回の受賞作『レプリカたちの夜』(一條次郎)のように、ミステリーの要素がゼロの作品にすら授賞しているからだ。

第1回の受賞作の『サナキの森』(彩藤アザミ)は主人公が27歳だから、設定だけ見れば青春小説ではないが、文体がライトノベルっぽいから、括りから言えば青春小説の範疇だろう。トリックはガタガタで、成立していない重大ミスがあるのに授賞されたのだから「ミステリー要素など、どうでも良い」と選考委員が考えている心情が垣間見える。

これまで新潮ミステリー大賞は受賞作が4本、出ているが(第4回は受賞作なし)この『名もなき星の哀歌』が最高傑作だと、私は思う。

『夏をなくした少年たち』も同じ受賞作と呼ぶのは気が引ける。『夏をなくした少年たち』は「なぜ、これが」と疑わせる不愉快な駄作だが、『名もなき星の哀歌』は読後感も良い。

受賞第一作がまだ出ていないが、もし結城真一郎の新作が出たら、すぐに読むだろう。

ミステリーと言うよりはSF

さて、『名もなき星の哀歌』はミステリーと言うよりはSFである。

何度も書いていることだが、現在SFは全く売れていないので、SFと見ただけで内容の出来不出来に無関係に一次選考で落とす新人賞も存在する。

どうにかしてSFでビッグ・タイトル新人賞を射止めようと思ったら、よほど工夫が必要になる。

最近のSFでのミステリー系新人賞の受賞作は江戸川乱歩賞の『到達不能極』(斉藤詠一)と、鮎川哲也賞の『ジェリーフィッシュは凍らない』(市川憂人)の2作で、『屍人荘の殺人』(今村昌弘)もゾンビを「凶器」に使っているので、SFの範疇に入るかも知れない。

これらの3作品と『名もなき星の哀歌』との最大の相違点は、3作品がスケールを大きくする方向で勝負しているのに対して、『名もなき星の哀歌』は実にせせこましい、トリックと言うよりは、設定で勝負している点である。

『名もなき星の哀歌』では、占いの小道具のような水晶玉に、忘れたい、消したい記憶を封じ込め、その記憶を欲しい人に転売転写できる、という、現実には有り得ないことが根幹になっている。

ミステリーだったら、「どうやって記憶を他人に転写するか?」の部分に、物語のかなりの部分を割くことになるだろう。

しかし『名もなき星の哀歌』では、その部分には全く触れない。「水晶玉を介して他人同士で記憶のやりとりが可能」という物語の設定条件に関しては、無条件で受け入れなければならない。

そういう点では、典型的なSFなのだが、かなりSFを読んでいる私も、これほどまでに、みみっちい、せせこましいSFは、初めて読んだ。

それが少しも欠点になっていないのが『名もなき星の哀歌』の良いところである。

『到達不能極』も『ジェリーフィッシュは凍らない』も、時系列が何度も行ったり来たりする(『到達不能極』だと重大な欠点になっていて少しも生きていない)が『名もなき星の哀歌』は、この2作の比ではない。

『到達不能極』と『ジェリーフィッシュは凍らない』は、現在から過去に飛ぶ場面では、ちゃんと分かるように書かれているのだが、『名もなき星の哀歌』は、そうではない。

頻繁に過去と現在が行ったり来たりするし、その過去も少年時代の遠過去から、ほんの数日前、ほんの数時間前の近過去まで、様々である。

これは、ちょっと頭の悪い(失礼!)読者なら、何が何だか分からなくなるだろう。

よくぞ気の短い下読み選者に当たって予選で撥ねられなかったものだと、その部分は感心した。

『名もなき星の哀歌』には、ヒロインの保科ひとみを巡る、いくつか謎があって、それを「記憶が転写できる」というSFの小道具を使って、2人の主人公――岸良平と田中健太が謎解きに取り組む物語構成で、そういう点では、ミステリーになっている。

謎が解けた後の読後感も良いし、保科ひとみ、岸良平、田中健太それに悪役の御菩薩池剛志のキャラも立っている。

剛志は悪役ではあるが、根が善人なのも読後感を爽やかにしている。

『名もなき星の哀歌』には唯一、考証ミスがある。258ページから261ページにかけて、主人公たちに絡む石塚巌という老人が、記憶を売った代償として手に入れた150万円を、息子と名乗る特殊詐欺犯にATMから振り込んで騙し取られてしまうのだが、現在、ATMからこれだけの金額は振り込めない。

現金なら10万円が上限である。いったん自分の口座に入れてキャッシュカードでなら100万円までは振り込めるが、150万円は無理。

銀行と事前に特別の契約を結んでおけば振り込み金額の上限が上がるので150万円の振り込みが可能になるが、だとすれば、それが銀行員同士の会話(良平も銀行員である)に出て来なければ不自然である。担当編集者か校閲が気づかなかったものか。

実に惜しい欠点である。

プロフィール

若桜木虔(わかさき・けん) 昭和22年静岡県生まれ。NHK文化センターで小説講座の講師を務める。若桜木虔名義で約300冊、霧島那智名義で約200冊の著書がある。『修善寺・紅葉の誘拐ライン』が文藝春秋2004年傑作ミステリー第9位にランクイン。
 

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