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第8回「小説でもどうぞ」佳作 ウソの世界/齊藤想

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  • 文芸

2022.06.15

第8回結果発表
課 題

うそ

※応募数327編
「ウソの世界」齊藤想
 六つ下の弟は、だれでも分かるようなウソをつく。
 小学校の遠足で動物園のヤギに服を食べられて裸になったとか、バス停留所に告白されて標識が後をつけてくるとか、本当にバカバカしいウソだ。
 ウソだけならいいのだが、ヤギの話のときは本当に裸になって帰宅してくるし、バス停留所のときも必死になって標識を回しながら動かしているからタチが悪い。
 「夢の中でお告げがあった」と言い出して宗教を開こうとしたときは、家族中で大騒ぎになったものだ。
 父がたしなめても弟は聞く耳をもたない。それどころか、胸を張ってこう答える。
「大きなことをなしとげるには、ウソが必要なんだ。いまからウソの技術を磨くんだ」
 父は首をかしげる。
「ウソが必要な仕事とはなんだ。小説家や漫画家にでもなるつもりか。それとも流行りのYouTuberか」
 母親も心配でたまらないようだ。
「あんたはお笑い芸人にでもなるつもりなの? まさか、詐欺師にはならないと信じているけど……」
 ぼくも調子を合わせる。
「アメリカのジョークなら、弁護士や政治家というオチなんだけどな」
 弟はキッと目を剥いた。
「そんな下らない目的のために、ぼくはウソを磨いているわけじゃない。ぼくの夢は、壮大で、もっと大きいものだ」
 弟は顔を真っ赤にして反論している。だが、そもそもどうしようもないウソばかりなので、説得力がまるでない。
 日を追うごとに、弟のウソは悪化した。
 「鳥のフンには増毛効果がある」と主張して、校長先生の頭に鳥小屋から持ってきたフンを塗りたくろうとした。
 別の日には「ぼくはタカの生まれ変わりだ」と主張して、チャチな羽を付けて校舎の屋上から飛び降りようとした。
 もちろん、先生どころか警察まで出動する大騒ぎになった。
 両親は学校に謝罪するために職員室まで足を運んだ。ところが、教頭先生からあっさりとこう言われた。
「そんな生徒はうちにはいません」
 両親は名簿を何度も見返した。弟の名前はどこにもない。
 家に帰って、父は弟を問い詰めた。
「お前はどこの小学校に通っているんだ。勝手に学校を変えるな」
 弟はさらりと答える。
「おれ、小学生じゃないし。さらに言えば、この家の子供でもないし」
「わけわからないことを言な。ウソもたいがいにしないと、本気で怒るぞ」
「怒るも何も、それが真実なのさ。つまり、ぼくの存在自体がウソということ」
 混乱する両親を脇において、ぼくは口を挟んだ。
「そのこと自体も、ウソなんだろ?」
 弟はにやりとした。
「ウソには法則があるんだ。この世にひとつウソが生まれると、新しいウソがもうひとつ生まれる。ウソは無限に増えていくんだ。ウソは寂しがりやだからね」
 弟はカーテンを開けた。闇夜に月が浮かんでいる。星は見えない。
「ウソの世界は自由だよ。架空の真実なんかに縛られる必要がないからね」
 弟はベランダに出た。ここはマンションの七階だ。夜風が室内に流れ込んでくる。弟は手すりに足を掛けた。
「何を考えているんだ!」
「自殺なんて止めて。お母さんが悪かったのなら謝るから」
 青白い顔が振り返る。
「大したことないよ。新しい世界に旅立つだけだから」
「それがウソの世界ということか」
「それはどうかな。じゃあね、真実の奴隷さん」
 躊躇することなく、弟は手すりを蹴った。

 その日を境に、弟の姿は完全に消えた。死体はどこにもなかった。警察には相手にされず、住民票にも弟の名前はなかった。
 弟は本当にウソの世界へと飛び立ったのだろうか。しばらくすると、両親はまるで最初から弟などいなかったかのように、いつも通りの生活を始めた。弟とのことを聞いても首をひねるばかりだ。
 弟が使い続けた机が、いまはただの物置になっている。机が二つあることに、両親は疑問を持たない。
 ぼくが朝食を食べていると、ふと、弟の名前が思い出せないことに気が付いた。
 弟だけでなく、自分自身の名前も。
(了)